千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
旧館の「千の天使がバスケットボールする」http://blog.goo.ne.jp/konstanze/

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2013.12.15 Sunday

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2008.04.14 Monday

ETV特集「神聖喜劇ふたたび〜作家・大西巨人の闘い〜」

大西大西巨人、健在也。
つい敬称を略称してしまったが、戦後文学の金字塔とまで評される「神聖喜劇」の作家であり、大正7年生まれ、現在91歳になる大西氏は脚腰は多少弱ってはいたが、今も深夜から夜明けにかけて毎日執筆活動を続けていた。昨夜のNHK教育テレビ「ETV」では、この流行作家とは無縁な老作家をとりあげていた。

原稿用紙4700枚、全5巻もあり、理論と理屈が延々と続く長編小説なのだが、誰もがあっさり”泣ける”読みやすいわかりやすい小説が人気を集める近頃の読書傾向にも関わらず、「神聖喜劇」が再び脚光をあびているという。しかも若者を中心に。でも、本当だろうか・・・。「神聖喜劇」は、本棚の隅っこでほこりを被っているが、我家にとっては子孫に受け継ぐべき本。今時の大学生からこの読んでいる時と聞いた時はとっても驚いたが、どうやら「神聖喜劇」は人気すらあるらしい。芸能人のようにハードなおしゃれが似合う作家の阿部和重さんも登場して、日本文学史上の最高傑作とたたえる。脚本家の荒井晴彦氏が脚本を完成させたそうなので、いずれ映画化もされるのだろうか。



大西2番組では、大西巨人氏の太平洋戦争中に対馬要塞に配属された70年前の軍隊時代の写真を交えて、この地をほぼ半世紀ぶりに訪問する大西氏の映像、岩田和博さんとのぞゑのぶひささんが描いた漫画、この小説に実際に魅せられたという西島秀俊さんのナレーションを交えて「神聖喜劇」が紹介されていく。冬木役、大前田軍曹役の俳優たちのセリフも重なり、戦時下の軍隊における緊迫感はテレビの映像からも充分に伝わってくる。
主人公の東堂太郎は、抜群の記憶力で上官の指導に反論して次々と論破していくのだが、大西氏と一緒に軍隊生活を送っていた人によると大西氏自身も記憶力が大変に優れていたという。往年の記憶力は、老いて尚殆ど衰えていないかのような印象を受けた。自宅を訪問された俳優の西島さんに、当時の軍隊の規律が書かれた小冊子をすぐに示した。また当然かもしれないが、大西氏自身の軍隊での体験が作品に相当色濃く反映されていることも、今回の番組で感じられた。
埼玉県さいたま市にあるご自宅に、長男の赤人氏が同じく作家となって独立し、また病から生後まもなく障碍者になった野人氏が44歳でなくなってからは、奥様と二人暮しである。ご自宅のすべての壁にあるかと思われる本棚は、すっきりと整理整頓されていて、まさに清貧の暮らしぶりが伺える。こんなに長い歳月をかけて延々と閉ざされた世界を緻密に書いたてきた作家を夫にもち、さらに病をもつふたりの男児を育てて、経済的なだけでなく一般人とはまた違うご苦労もさぞかしあっただろうと私なんぞはすぐ考えてしまうのだが、奥様の自然でおだやかな笑顔がとてもよい印象を受けた。こんな奥様だから、大西氏も執筆活動にうちこめたのでは、と女性としては思ってしまう。赤人氏の高校受験時の父の対応に対するインタビューにこたえる感想に、あかるい達観が感じられたのも、母親似の容貌のせいだろうか。
大西氏は、実に変わった作家である。率直に言ってしまえば、厄介な人物という印象もあり、その心に、私は近寄りがたいものすら感じている。
しかし、残した作品に、人々は不朽の価値があることを認めている。

■アーカイブ
漫画版「神聖喜劇」

2008.04.13 Sunday

菊池俊吉写真展-昭和20年秋・昭和22年夏-

ひろ生意気ながらも上司にお薦めしたいのが、アラン・グリーンスパンの「波乱の時代」。この本は、おもしろい。
上巻は1987年9月、レーガン大統領によってFRB議長に指名されたアラン・グリーンスパンの回想録なのだが、就任当時のインフレ圧力を抑えるために公定歩合を0.5%引き上げて景気を減速させる試みの心境を、ニューメキシコ州の砂漠で初めて原爆実験を行った物理学者の回想を思い出しながら綴られている。マンハッタン計画に関わった科学者をはじめ、政治家、軍人たちは計画の”成功と成果”を知った時にいったいどのような人間らしい感情がわいたのだろうか。
日本人の私として、いや日本人でなくても、「広島」は、「ヒロシマ」なのだが、グリーンスパン氏の単純な比喩に、原爆をつくった国民と投下された国民の間の意識の違いを受け止めて、考え込む。世界的には、第二次世界大戦の”悲劇”としては、アウシュビッツでのユダヤ人大量虐殺の方が、「ヒロシマ」よりも浸透しているのだろう。しかし、「アウシュビッツ」と「ヒロシマ」では、その事実の意味が違うと私は思う。悲しいことだが、あのような大量虐殺、ジェノサイドは、これまでも宗教、民族などの違いからおぞましいくらいに幾度も絶え間なく繰り返され、そして今も遠い国で人類の愚行として行われている。「ヒロシマ」は、原子爆弾という新しい核兵器が地球規模で破壊してしまう可能性すらある脅威を知らしめた地であり、人類の歴史上、永遠に語りつなげればならない重い遺産を残された特別な地でもある。
小倉、新潟、京都、などいくつかの候補地があげられながらも最終的に8月6日広島が選ばれた。捕虜収容所がなかったこともさることながら、東京のようにすでに空襲によって破壊されていなかったことや、人口や施設がある程度密集していることから、破壊規模の正確なデータをとれること、そういった科学的な検証の理由からもすでに敗戦色の濃かった日本の広島に、原爆を投下したことの事実が問いかける意味。
広島平和記念資料室では、今年の7月15日まで「企画展 菊池俊吉写真展-昭和20年秋・昭和22年夏-」が開催されている。


ヒロシマ1945年9月、文部省学術研究会議に原子爆弾災害調査研究特別委員会が設置され、その補助機関として医学班にカメラマンの菊池俊吉氏が同行した。10月1日から20日まで被爆直後の惨状を記録し、860枚を撮った。そこには、駅、銀行、病院といった建築物、老人から幼いこどもまで一瞬にして街と命を破壊した様子が写されている。そして2年後に、菊池氏は広島を紹介するグラフ誌のカメラマンとして広島を再び訪問した。原爆によってすべてを失われ、GHQによる戦勝国への賠償に苦しみながらも、人々は復興に向けて立ち上がらなければならなかった。
平和記念資料館の常設展が被爆の事実を伝えることであるが、今回の企画の被爆直後とその2年後の同じ位置からの写真を含めて100点の写真に、私たちは過去を学び、なにを見るべきか。

ブログをはじめてよかったと思うのは、日々の生活を拙いながらも文章化することによって、以前より深くものごとを考える習慣が身についたことだ。そして、映画『二十四時間の情事』を観ていなければ、何度も訪れてきたこの広島だが、私は「ヒロシマ」に来ていなかったことに気がつかなかっただろうし、このような写真展に関心をもつこともなかったかもしれない。
ここでは、多くを語る必要はない。広島にご出張される方、また訪問する機会のある方は、この企画展にも足を運んでいただければ、と勝手ながら願っております。(8時半〜18時まで。入館無料)


菊池氏がカメラで切り取ったありのままの広島。
 被爆の苦しみに耐え
 復興に努力した人々に思いをはせ
 核兵器廃絶の誓いを新たにしてほしい。
」  −企画展のパンフレットより
 


■参考⇒「中国新聞 ヒロシマの記録」

映画『二十四時間の情事』

2008.04.12 Saturday

「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ著

くら正直言って、確かにおもしろいのだが「のだめカンタビーレ」は私にとっては胸きゅんレベルの漫画ではなかった。ところが、ピアニストの青柳いづみこさんが書かれた「ピアニストが読むマンガ」でご教授いただくと、あの漫画が実はよ〜くデキテイル作品だということがわかった。目からうろこ、、、というのはこういうことだった。

青柳いづみこさんによると指揮者志望の千秋に対して、のだめは作曲家タイプで作曲家になることを希望していたホロヴィッツにそっくりだそうだ。ホロヴィッツは、ロマン派時代のピアニストのように楽譜に書いていないものを”かってに”つけ加えて弾くのが得意だった。楽譜忠実派の千秋にしてみれば、のだめの演奏は「楽譜見てねーじゃねーか!!」と怒りたくなるのもよくわかる。たとえばコルトーのようにテンポをゆらしたりロマンチックに弾く演奏は、フランス人には「娼婦のような演奏」とあまり評判よろしくない。だから、自己陶酔型のターニャが良い演奏をしても「大事なのはこの曲の音楽だ」とコンクールで落とされてしまったのもわかる。しかし、現代では即興演奏したり(ヴァイオリニストの古澤巌さんの「ひばり」など)、ジャズやポップスにシフトしてもっと自由に音楽とつきあう人が増えていることから、のだめと千秋は古い価値観と新しい価値観の代表選手と分析している。(新しい価値観のトップバッターだったヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんは、作曲の才能だけでなく先見の明があったと実に感心する。)
またのだめのモデルのひとりが、1980年のショパン・コンクールでアルゲリッチが怒って審査員をおりた事件で、逆に一気に知名度と評価があがったポゴレリッチ説も有力である。当時、彼の演奏に25点満点で5点以下の点数をつけた審査員もいたそうだが、通常水準以下でも12〜13点はだすのが慣習であり、もともと超絶技巧の持主であるポゴレリッチがミス・タッチなしで最後まで弾いたのだから、あれはありえない点数、野生児のアルゲリッチが怒るにももっともだったそうだ。理由は、彼のマズルカが伝統的な解釈とあまりにもかけ離れていたところにあるが、斬新な解釈が計算されていている点で天然の変な解釈をするのだめとは全く異なる。自分の個性を強烈にださずに、審査員全員に嫌われない演奏をしないと入賞できないのがコンクールの欠点であろう。
のだめのコンクールや試験での選曲、千秋の演奏会での天才性を証明するプログラミングや登場人物の性格に至るまで、音大で教授もされている著者らしい平易で楽しい解説は、文春新書もここまで軽チャーになったのかと妙に感心するくらいノリがよくあっさりかるめである。読者の対象を従来からのクラオタというよりも「のだめカンタビーレ」のファンになり、はじめてコンサートなるものにおでかけする初心者対象なのだろうか。

それでも”年季のはいった”(←いろいろな意味で)calafさまやromaniさま音楽好きの方にも本書をお薦めしたいのが、このタイトルにこめられた「ボクたちクラシックつながり」という意味である。不良債権といわれるくらい回収できない投資が必要な職業のピアニスト、たとえ世界的な演奏家になっても待っている孤独で厳しい演奏生活、はびこる商業主義。(なんとフランスで最も人気のあったピアニスト、フランソワ・デュシャーブルは音楽界をとりまく商業主義に絶望してグランドピアノを湖に沈めて燕尾服を街頭で燃やして引退してしまった。)けれども、一流の音楽家だけでなく、落ちこぼれ集団のSオケ、廃業寸前のルー・マルレ・オケ、サントリーホールや一流レーベルに縁がないピアニストも、ピアノ教師、趣味でピアノを弾く人たちでも、みんな、みんな音楽でつながっている。

「のだめカンタビーレ」だけでなく、私は読んだことがないが映画化された「神童」「ピアノの森」など、音楽マンガはちょっとしたブーム。これらの音楽マンガは、一般人に知られていない不思議なクラシックの世界の扉を開け、音楽家の生態を暴露?したことになったのだが、その扉の内側の住人の心情が結ばれた「おわりに」が、私にとってはマンガ以上にしみじみとこころに響いたきた。著者が思い浮かばれた千秋とのだめのような、あるピアニストのご夫婦のはなし。。。
「そして音楽への”愛”がすべてを浄化してくれる」
そう、そうなんだよね、とひとりごちながら、扉の外から内側に住む”ボクたちクラシックつながりの”人々の幸福を願いながら、本を閉じたのだった。

■アーカイブ
・クラシック音楽家の台所事情

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2008.04.10 Thursday

クラシック音楽家の台所事情

今年も桜が咲き、新入生がキャンパスにやってくる季節だ。
「博士号は足の裏についた米粒みたいなものだ。取らないと気になるが、取っても食えるわけではない」
おそらく理系の大学院に進学して研究者になる夢をもって入学してくる学生は、先輩から白楽ロックビル先生の理系白書「博士号とる?とらない?徹底大検証!」をすすめられるだろう。せっかく優秀な頭脳と地道な努力をもって大学院で博士号をとっても国内では就職難民。親にとっては大変な不良債権である。
その債権はまさに音大並?!

研究するピアニスト青柳いづみこさんの近著「ボクたちクラシックつながり」(ピアニストが読む音楽マンガ)を読了したのだが、実におもしろかった。のだが、最終章の「ピアニストは本当に不良債権か?」という楽章で、クラシック音楽家の台所事情が紹介されていて、ある程度想像がついているとはいえ、なんともせつなくなってしまった。
昨年3月「週刊東洋経済」にのだめブームの影響だろうか「才能・努力だけで食えない クラシック音楽家事情」が掲載された。06年度の短大を含む音楽系の入学者は6016人。学費はご存知のとおり東京藝術大学音楽部では4年間で300万弱と一般の国立大学並だが、私立大学では1000万円。ご入学される前の個人レッスン代、交通費(場合によっては宿泊費)や楽器の購入費に関しては、みなさんご存知でしょうから省略しておく。続いて驚いたのが、「週刊東洋経済」の記事によると国際的に活躍するプロを育てた海外の音大や大学院の1年間の留学費は550万円程度!(よく聞く給費留学制度や奨学金もあるだろうが)・・・4年間で最低2200万円。勿論、留学経験なしで国際的なコンクールに優勝した音楽家もけっこういらっしゃる。さらにさすがに「週刊東洋経済」、日本のクラシック演奏家の収入ピラミッドも掲載されていたそうだ。

日本音楽コンクール優勝、もしくは海外の有名コンクールで上位入賞者(清良タイプ)のレヴェルで1ステージのギャラが税込みで50万円程度。(1回1000万円のギャラをもらうキーシンやブーニンは特別。)確かに20ステージこなせば年収1000万円を超えるかもしれないが、実際演奏で年収が1000万円超の人気演奏家は、たったの数十人。だから清良は帰国しても、しばらくはコンクール入賞者としてのシゴトはあるかもしれないが、そこからさらに美人という付加価値を維持しながら活動をとぎらせることなく続けなければいけないのだ。綺麗なドレスも必要経費。
300〜1000万円のN響以外のメジャーな交響楽団の団員、小さなオケの団員やフリーは300万円以下。ほとんどゼロの人が2万人・・・。何度も読み直したが、演奏による収入ではなく”年収”となっている。実際は、個人レッスンや音大の非常勤講師、スタジオなどのバイトでもっと収入があり、一般サラリーマンより収入の多い方、夫婦共働きで生活にゆとりのある方もたくさんいらっしゃると思うが、私もかねてから音楽家がどうやって食べていっているのか謎だった。

さらに自主公演でホール5〜700人程度のキャパでリサイタルをひらいた場合、ホール代、チラシ・パンフレットなどの諸経費が200万円程度で、1枚4000円のチケットをほぼ完売してなんとか収支がプラマイゼロ、つまり赤字覚悟が常識。CD制作は500枚が買取の条件で、印税は3%なので1万枚売れないとみあわない。ところがクラシックのCDが、1万枚売れたら事件になるくらいだから、当然大出血。そういえば、小説のモデルにもなった人気ヴァイオリニストの天満敦子さんもいい年してずっと父親の健康保険に入っていたと「わが心の歌」で書いていたな。「のだめカンタビーレ」の峰君が、自営の食堂で出前もちをしている図が音大の卒業生のごく普通の進路。本当に食えない職業なんだ。

そして最後に「週刊東洋経済」では、
クラシック音楽家は、(中略)経済性だけから見ると極めて”投資”効率の悪い職業といえるかもれないと結ばれている。
それはわかっている。あくまでも経済的な投資からすれば、回収不能な不良債権。しかし、ピアニストのアレクサンドル・タロー氏によると一日中夢の中にいることをゆるされるのも音楽家。やっぱり音楽好きには幸福な職業だと思ってしまう。
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2008.04.09 Wednesday

「夜明けの街で」東野圭吾著

よ「不倫する奴なんて馬鹿だと思っていた」

妻とひとり娘とともにマンションに住む1部上場企業の30代後半のビジネスマン、そんな渡部の告白による一人称で物語は幕を開ける。
”思っていた”という過去形が、自ずと勘のいい読者には結末が予測できるだろう。評論家の喜志哲雄氏によるとシェークスピアの「ロミオとジュリエット」は、冒頭のコーラスなる進行係りのよってあらかじめ結末を知り、読者は若い恋人の浮き沈みに痛切な共感を覚えながら、すでにわかっている宿命の登場人物に距離をおき、物語の無意味さを知的に眺めることを求められることになる。本書は、家庭もちの平凡なサラリーマンが資産家の和風美人の派遣社員と恋に落ちた・・・という男性にとっては「真夏の夜の夢」のような設定に、実は恋人の秋葉は父の恋人を殺害した殺人者かもしれないという、ミステリー作家としてあぶらののっている東野圭吾らしい謎解きをからめている。

相手が派遣社員の女性とは、、、なるほどな〜と思う。派遣社員は、派遣先にはプライベートな履歴まで知らされていない。つまり、同じ会社の社員よりもベールに包まれていて、しかも美人だったらなおのこと興味がそそられる部分もなきにしもあらず、また契約期間がきれたらご縁もそれっきり、たとえふられて玉砕しても後遺症は少ない。男性にとっては、正社員よりもねらいやすいカテゴリーかもしれない。しかし、主人公の渡部は決して浮気性ではない。
「一度きりなら浮気、継続したら不倫」
浮気症ではないから、なんの落ち度もない良妻賢母の妻にかくれて、というよりもだまして何度も逢瀬と重ねて秋葉との恋にのめりこんでいってしまう渡部。よくある不倫なのだが、水が流れるように自然に妻以外の女性に恋をしてしまい、悩みまどう男の生態がリアルに描かれているところが読みどころ、そのためかミステリーとしてのさえは鈍っているというのが惜しいかな。
ただ女性の立場として考えたら、夫の浮気に勘付いていながらコトを荒立てることによるリスクをさけ、淡々と波風たたせず生活してひとり娘の私立小学校の受験準備をすすめる妻、ひと昔前だったら良妻賢母のデキタ嫁だろうが、このタイプには私はあまり共感がわかない。こんな妻、はたして魅力的だろうか。林真理子さんによると最近の傾向として、既婚女性は夫以外の男性と関係をもたないそうだ。不倫なんて、今時流行らない、ということになるのだが、林さんの交流関係を考えると安定したゆとりのある生活ランクと思える専業主婦の妻たちは、不倫に伴うリスク(離婚)を考えると浮気や不倫はみあわないそうだ。本書の渡部も不倫に伴うリスクと損失から、冒頭の不倫する奴は馬鹿という発言になる。
しかし、行ってはいけない道とわかっていて足をふみいれて迷うのが人間だ。人が理性的に行動できないという前提で展開されるのが、行動経済学だ。それに、妻の座という既得権益は、確かに手離すには惜しいかもしれないが、他の女性に敵わない愛情を育てられなかった罪が妻側にも全くないとはいえないのではないか。そもそも、夫の不倫に耐えてゆるした妻に限って、定年退職後の老後は、慰謝料をとり年金分割で生活を維持できる金銭を確保して濡れ落ち葉を掃いて熟年離婚にもちこみそうだから、男性もご用心。
「ありがとう」その言葉を残した秋葉の少女のような無邪気な表情に涙がきらきら光る描写は、やっぱり男のせつない願望のあらわれである。こんなボルボを運転している都合のよい魅力的な女性はまずいないし、仮に遭遇したとしてもそうそう簡単に釣れるわけがない。もしラッキーにも親しくなれたら、素朴な男性は秋葉のようになんらかの意図がかくされているのかもしれないと疑った方がよい。

自分の長所をアピールするのが恋愛で、短所をさらけだのが結婚。結婚によって、多くのものを失うことに気がつかなかった。離婚歴のある著者のこんな言葉は、おおかたの男性の本音だろうか。先日亡くなった俳優のチャールトン・ヘストンの長い結婚生活の秘訣は、「努力」。

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2008.04.03 Thursday

業務連絡

桜を観に、小旅行に行ってきます。

2008.03.31 Monday

「エコノミスト・ヒットマン」ジョン・パーキンス著

ひ本書の著者の職業は、1971年〜80年まで米国の国際的コンサルティング会社の有能なエコノミストだった。
しかし、その素顔は賄賂、選挙の裏工作、都合のよい財務収支報告書にお決まりの脅しや女の道具や武器を駆使して、世界中の国々をだまして莫大な金を掠め取るエコノミック・ヒットマン。本書は、その仕掛け人の懺悔物語である。

彼らエリート集団は、貧しい国に発電プラント、高速道路、港湾施設、空港、工業団地などのインフラ設備をもちかけて、建設の請負業者を米国の企業に請け負わせることを条件に、国際的金融機関から融資を利用して、米国の大企業や政府、銀行を率いるコーポレートクラシーが他国を思いのままに繰れる状況をつくりだしていくのがミッションだ。資金の大半は、米国から流出しない。ワシントンのオフィスから、国内のエンジニアリング会社に送金される。けれども融資を受けた被援助国は、当然ながら元金&利息の返済を求められる。この借金は、莫大である。あっというまに債務国は債務不履行に陥り、ついには国連での投票権の操作、軍事施設の設置や石油やパナマ運河などの資源のアクセスなど、厳しい代償が待っている。
かくして、貧困国はめでたく世界帝国の軍門にさがる。
工事を請け負う企業にすれば莫大な収益を得るが、その一方で借りる立場としてはほんのごく一部の権力者にだけ金がまわり、大多数の貧しい人々はさらに貧困に陥る。たとえGNPが上昇したとしても、利益を得るのはガスや電気の公益事業を所有する有力者だけで、健康や教育を必要とする貧しい人々には、結果的に借金返済の犠牲となり社会的福祉を奪われることになる。それが、世界のからくりだ。

本書はそうした世界経済の暗部に光をあてる高い目的をもちながら、著者というひとりの人間の自白がさらす米国人好みの”暴露本”という面も有する。厳格な両親に育てられたこと、最初の妻との離婚、その後出逢った魅力的な女性たちとの交流を経て、さらに魅力的な報酬と刺激的な仕事に、自分自身の良心に問うという問題を先送りにしたことへの自分への贖罪もかねている。辛口な言い方をすれば、有能に次々と仕事を決めて昇進の階段を登るエコノミストとしての自信、達成してきた業績への回顧とわずかな自慢、、、私には、正直でおそらく弁のたつおしゃべりなヤンキーな執筆者の姿が目に浮かぶ。本書を執筆したことで、罪を浄化して自己満足していないか。そうは言っても著者は、最終的には自分は奴隷商人だと悟る。自分の後輩の現代のエコノミストたちは、貧困にあえぐ人々は、収入がゼロよりもたとえ一日1ドルでも稼ぐほうがましであり、彼らは勤務先の企業が生き残るための根幹で、自分たちの豊かなライフスタイルの基盤であることをも理解している。それで、よいのか。
厳格な両親、そして周囲のクラスメートに比較して裕福ではなかった学生時代をおくった著者が、たいした理念もなくほんのきっかけでこの業界にあしをいれ、持ち前の上昇志向もあいまって、まるで映画のように太陽がいっぱいの人生がはじまる。混沌とした第三世界での若者好みの冒険ハナシもある。けれども、自らの良心の呵責に堪えかね、チャールズ・T・メイン社を退職してから20年近い歳月が流れ、一人娘も成人してようやく本書が日の目を見ることになった。

米国政府とサウジアラビアは、イスラム教徒のゲリラに約35億ドルを提供しているという話題も含めて、世界情勢に関心のある方には、内容の殆どは既知の事実であろう。それでも、世界の真相とからくりを知りたい方には、本書はお薦めである。東洋経済新報社が出版した意義もあるというものだ。

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2008.03.29 Saturday

自立していくのだめ「のだめカンタビーレ」#20

のだめ今や「のだめカンタビーレ」は国民的漫画だそうだ。
出版業界が不況で、個人的には今の日本の小説には読みたい本が少ないのだが、漫画業界は活況である。Googleで調べたら(こういう時は、ホントに便利)、のだめの1〜19巻までの売上部数が2700万部を突破したそうだ。この現象はなんなんだろう。

さて、笑えるクラシック漫画の20巻。やっぱり笑える!このスタッカートのようなギャグのセンスが、読者をあきさせないキモだろう。
音楽好きには、おなじみの名曲の登場も愉しみ。今回は、ショパンのピアノ・ソナタ第3番ロ短調にのだめは格闘中?この曲を練習しているのだめの3楽章の演奏を聴いて、ターニャが懐かしみながら「ここは、もっとがっつりうっとり聴かせてくれないと〜」と文句をつける場面があるのだが、そのセリフを聞いたユンロンがあっさり、「またそういう自己陶酔プレイを ショパンでそういうプレイされると 見てはいけないものを見てしまった気になるよ リストとかならまだしもネー」と。。。
ターニャがコンクールの予選で弾いた曲は、シューマンのクライスレリアーナだった。シューマンがクララに叶わぬ恋をしていた頃、ホフマンの小説「楽長クライスレリアーナ」からタイトルをとり、自分の想いを重ねて作曲した不思議な印象を残す名曲である。ターニャは、自分の中にある音楽をシューマンの内面から湧き上る積極的なものと消極的なものを重ねて演奏した。それは、充分に聴くものを魅了した。悪くはない。しかし、審査員のひとりが「大事なのはこの曲の音楽だ」と。
20巻のテーマは、ひと言で言って「音楽に誠実に向かう」こと。

本選でとりあげられたラベルのピアノ協奏曲に触発されたのだめがコンクールに出場したいと申し出た時、オクレール先生の「目の前の音楽に向き合えていない」とあっさり反対される。ターニャは、日本的な言い方をすれば頑張った。よくやったと思う。が、結果の理由がわかる。自分の個性を音楽にこめることと作家の意図する音楽の対立。なんて音楽は深いのだろう。
千秋のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調の解釈も役に立つ。
主題を徹底的に展開していくと「英雄」「運命」のような緊密な緊張感やダイナミズムある曲が作れるが、音楽のもうひとつの魅力、旋律の美しさはある程度犠牲になる。ベートーヴェンは、その叙情性をあえてだして主題の展開をさけるかわりに起こる曲全体の構成のゆるさを後の楽章で補い、どうやって有機的に全体をまとめるかということに力を注いでいるんだろうな」
でも、与えられた道は自分のものにはならないのが、演奏家にとっての音楽なんだな。
千秋から自立をはじめるのだめ。
この続きは・・・と、やっぱりのだめワールドからぬけられない。


■ふりかえりアーカイブ
のだめカンタビーレは歌う♪
のだめカンタビーレ
のだめカンタビーレ#15
「のだめカンタビーレ」テレビ放映爆笑
いかづちに打たれた「のだめカンタビーレ」♪
もっと高くもっと遠くへ「のだめカンタビーレ」#19
JUGEMテーマ:読書



2008.03.27 Thursday

<マクドナルド訴訟>店長は非管理職 東京地裁が残業代認定

ハンバーガーチェーン「日本マクドナルド」の店長が、管理職扱いされて時間外手当を支払われないのは違法として、同社に未払い残業代や慰謝料など計約1350万円の支払いを求めた訴訟で、東京地裁は28日、約755万円の支払いを命じた。斎藤巌裁判官は「職務の権限や待遇から見て、店長は管理監督者に当たらない」と述べた。

同社では正社員約4500余人中、約1715人(07年9月現在)が店長。チェーン展開するファストフードや飲食店では同様のケースが多く存在するとされ、判決は業界に影響を与えそうだ。
訴えていたのは、125熊谷店(埼玉県熊谷市)店長、高野広志さん(46)。99年に別店舗で店長に昇格して以降、残業代が支払われなくなり、時効にかからない03年12月〜05年11月の2年分について約517万円の支払いなどを求めた。

労働基準法は時間外勤務に対する割り増し賃金の支払いを規定しているが、「管理監督者」は適用外になる。訴訟では、同社の店長が管理監督者に当たるかが争点だった。
判決は管理監督者を「経営者と一体的立場で労働時間の枠を超えてもやむを得ない重要な権限を持ち、賃金が優遇されている者」と判断。同社店長について、店舗責任者としてアルバイトの採用や会社のマニュアルに基づく運営など店舗内の権限を持つにとどまり、経営者と一体的立場とは言えないと認定。さらに、品質・売り上げ管理などに加え、調理や接客なども行うため、労働時間の自由裁量性は認められず、部下の年収を下回るケースもあるなど待遇が十分とは言い難いと指摘した。
その上で未払い残業代約503万円を認め、労働基準法に基づきその半額について懲罰的な意味合いを持つ「付加金」の支払いを命じた。

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名ばかり管理職訴訟 播州信金も敗訴
播州信用金庫(兵庫県姫路市)が支店長代理を管理職として扱い、残業代を支払わなかったのは違法として、元支店長代理の山内勉さん(55)=同県稲美町=が未払いの残業代など計約770万円の支払いを求めた訴訟の判決が神戸地裁姫路支部であった。中島栄裁判官は「職務権限に照らし、支店長代理は管理職とはいえない」と判断、同信金に計約450万円の支払いを命じた。

 山内さんは同県加古川市内の支店で支店長代理を務め、平成17年12月に退職。中島裁判官は判決理由で、支店長代理は勤務時間が自由裁量でなく、部下への人事評価権もないと認定。労働基準法が残業代の支払い義務がないと定める、経営者と一体的な「管理監督者」には当たらないと判断した。
山内さんは「判決内容に安堵(あんど)した。若い人を管理職に就かせ、同様の行為を行っている企業もあるかもしれない。同じ立場の人の待遇改善につながればと思う」と話している。
「管理職」への残業代支払いをめぐっては、東京地裁が1月28日、日本マクドナルドの直営店店長を、同様に管理職に当たらないと判断。同社に未払い残業代など750万円の支払いを命じる判決を言い渡した。その後、コンビニエンスストア最大手のセブン−イレブン・ジャパンが直営店の店長に残業代を支払うことを発表するなど、論議が広がっている。(08/2/9 産経新聞)

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話題の旬はとっくに過ぎてしまっているのだが、気になっていたこの「偽装管理職」の記事を「週刊東洋経済」でひろって記録。

東京地裁で支払を命じられ、「控訴する方向で考える」と回答した日本マクドナルド社は、翌日控訴した。
私なんぞは、まずいち個人が巨大企業、しかも米国から輸入されてきた会社相手に訴訟を起こすことは、対戦前に勝敗が決まっているのではないか、と、つい気弱になってしまうのだが、原告側弁護団によると、これまで管理監督者に当たるかどうかが争われた裁判約30件のほとんどで労働者側が勝利している戦績だそうだ。
まず、経営者と一体的な立場かどうかの判断基準は、次の3つにある。

仝限・・・店長には社員採用の権限、営業時間やメニューを決める権限なし
勤務態様
処遇・・・評価によっては下位職位の平均年収より低め

地元駅のマックも店長含め店員さんたちが、忙しそうだ。考えたら、たかだかマックで5分も待ちたくない。スーパーのレジ並にスピード感で、行列解消すべく¥100のスマイルとフライドポテトの加工をしている店長らしき方。しかも殆どバイトでまわしているらしき人的資源と長時間の営業時間。この訴訟の原告側である現役店長の高野廣志さんは、1ヶ月の時間外、休日労働時間が137時間!63日連続出勤の結果、症候性脳梗塞を発症して、”過労死”の危険に直面して訴訟にふみきった。高野さんは、残業代よりも”偽装管理職”者の自由裁量もなく、ひたすらサービス残業をさせられることの労働実体を告発して、同じ店長たちの救済にたちあがってかと思われる。

厚生労働省に委託研究機関である日本労務研究会の管理監督者の実態調査(05年)によると「管理監督者」のほぼ8割が不要な労働時間管理がされていて、5割超で勤怠が制裁・不利益の対象とされていた。そうした実態から、課長クラス、部下なしスタッフ職は管理職にあらずと結論づけている。
「週刊東洋経済」では、そもそも問題は管理監督者であるか否かよりも、本来最低基準である1日8時間労働、週40時間という労働基準法の規定を大きく超えている長時間労働が蔓延している現実ではないか、と投げかけている。全く、その通り。一時の混乱をのりこえて、私も近頃月に5日ぐらいは残業なしで帰宅できるようになった。けれども、労働時間は週40時間を超えていそう。それでも、照会メールの開封時間を確認すると夜8〜9時はフツーなので、文句は言えないな、と思っている。むしろ夜7時頃定刻どおりに?退社できるなんて楽・・・ぐらいに思っているのだが。常識を疑えではないが、やっぱり週40時間超の労働があたりまえと考えてはいけないのかも。

そんななか、「直営店舗のフランチャイズ(FC)店への切り替えを加速させる」と報道。年内に昨年の3.5倍にあたる500店を転換、全店に占めるFC店の比率を3割から4割程度に引き上げるという。FC店にしてしまえば、偽装管理職問題も解消でき、人件費も抑制できるが、市場はたいして好感していないようだ。

 
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2008.03.25 Tuesday

『パン・タデウシュ物語』

ぱん映画とはなにか。映画は、娯楽か芸術か。

それを説明するなら、この『パン・タデウシュ物語』を1本観ればよい。この映画には、映像だけでなく美術、脚本、衣装、舞台、俳優、そして音楽。映画の娯楽性と芸術性をかねそなえ、尚且つ映画の真髄が、そのすべてが154分にあますところなく凝縮されている。さすがに、アンジェイ・ワイダ監督。
原作はポーランドの詩人アダム・ミツイエヴィチによるポーランド・ロマン主義の最高傑作と伝えられている長編叙事詩『パン・タデウシュ』である。1823年、民族主義運動のために投獄され、その後ロシアに流刑された後、祖国を離れた国民的な詩人は、この美しい詩を亡命先のパリで書いた。
その栄誉ある舞台となったのは、1811年ナポレオンのモスクワ遠征も近い第三次分割でロシア支配下にあったリトアニアの農村。


ぱん平和な田園地帯の広がる村には、小貴族(シュラフタ)であるホレシュコ家のソプリツァ家の両家は、ソプリツァ家のヤツェクがホレシュコ卿を射殺した、20年前の事件から対立していた。そして、それをきっかけに行方不明となったヤツェクの息子タデウシュ(ミハウ・ジェブロフスキ)が、首都ヴィルスでの学業をおえて判事である叔父の館に帰館した。真面目でちょっとテニスの松岡修造氏のようにスポーツが得意で熱い、つまりどこから見ても好青年。そんな彼は、庭先で美しい少女ゾーシャ(実はホレシュコ卿の娘)を一目見て恋におちてしまった。然し、なんたることか、いまだ女性経験のない彼は、晩餐会で隣に座ったゾーシャ(アリツィア・バフレダ=ツルシ)の教育係りであるテリメーナを、あの時の少女だと勘違いをしてしまうのだったが。。。

ぱんゾーシャは、14歳の可憐な蕾みが今にも咲きほころぶかのような野の白百合のような少女。その一方、テリメーナは30歳をとっくに過ぎたタデウシュと変人の伯爵を両天秤にかける”百戦練磨”の熟女。今日、勤務先でスタッフの女性たちが、亀梨和也クンと小泉今日子さんの話題から20歳の年の差の恋バナをしていたが、まさにタデウシュとテリメーナは、この年の差カップルである。どう考えても、あわてんぼうのタデウシュの好きな女性を取違える勘違いはありか?と思うのだが、テリメーナは美乳で美貌を誇る中年女性、しかもこの女性は弁論家で頭がよい。(顔立ちが、デビ夫人に似ている・・・)このような古典的な人物像と設定が、物語にオペラのようなユーモラスさと素朴さを与えてくれる。タデウシュとゾーシャは、お互いに好意をもち、彼らの婚姻こそ、長らく対立の続いた両家のなによりの和解になる。
そして、もうひとつ大切な軸となるのが、若いふたりの恋とふたつの貴族を通して、背景に描かれているのが、祖国、戦争と和解、愛情と憎悪、生と死という普遍的な人間の感情である。不潔で騒々しいモノトーンの暗いパリの街のプロローグが、見事につながるエピローグ。この短いプロローグとエピローグが、物語に陰影としびれるような抒情を与えている。そして、回想にあたる故郷を描くシーンでは、重い雲がたれこむような天候はなく、すべて萌えるような緑がどこまでも続くのどかで美しい田園地帯。たとえ雨が降っても、空の晴れ間がのぞけるあかるさ。この風景のはっきりした明暗の描き方に、私はアンジェイ・ワイダ監督の祖国への思いを感じた。物語のあちらこちらに散らばるほのかなユーモラスさ。誰もが願う寓話の大団円の結末。



ぱん最新流行のウエディング・ドレスにしなさいというテリメーナのアドバイスを泣いて断り素朴なデザインにこだわった瑞々しい若い花嫁は、花婿の農地を農民に譲る素晴らしい提案に賛成した。
この映画はポーランドで公開されるや、熱狂的な国民の支持を受けて記録的な大成功を治めた。
ポーランド人の魂を象徴するかのようなポロネーズの音楽が、いつまでも余韻を残す。

監督:アンジェイ・ワイダ
原作:アダム・ミツイエヴィチ
制作:1999年ポーランド=フランス

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