千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
旧館の「千の天使がバスケットボールする」http://blog.goo.ne.jp/konstanze/

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2013.12.15 Sunday

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2007.11.25 Sunday

「ロシアのロマンティシズム」サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー

さんロシア旅行から帰国してはや1ヶ月。もう師走だーーーっ。サンクト・ペテルブルグは氷点下。
「石の花」を愛読していた私にとって、これからが最もロシアらしいロマンチシズムにひたれる季節かもれない。
10月20日、サンクト・ペテルブルグで一足はやい「ロシアのロマンティシズム」の演奏会に行ったことを思い出す。

会場は、「サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー」。芸術広場に面して、ロストロポーヴィッチが金婚式を祝った「グランドホテル・ヨーロッパ」と道をはさんで向かい合っている。最近のロシアは、しょっちゅう地名が変わるのだが、別名「ショスタコーヴィッチ記念ホール」とも言う。もしかしたら、ロストロポーヴィッチが亡くなる前、力をそそいだというのがこの記念ホールの改築のことではないかと思っている。
演奏会の二日前にホールのチケット売場で、運良くチケットを購入できた。悪名高い外国人価格で、本来400ルーブル(約2000円ほど)の席が1750ルーブルと提示されるが、N響の定演のS席ぐらいの価格だと割りきり入手した。外国人価格というシステムには納得いかないが、NHKホールよりもずっと良い。



ほーるホームページから転載した画像のとおり、改築したばかりの白を基調とした清潔で美しいホールである。豪華なシャンデリアに思わずため息がもれる。天井に近い窓からは、空を眺められるような構図となっているのがロシア風だろうか。
この建物は、1839年イタリア人の建築家ロッシによって貴族クラブのために建てられたのだが、今では、優れた音響で世界に誇れるホールとして知られている。チャイコフスキーが最後に交響曲第6番『悲愴』の初演を指揮したことでも有名だが、ロシア人にとっては1942年8月9日、ナチス・ドイツ軍によって包囲されたレニングラードで、ショスタコーヴィチの交響曲第7番」(レニングラード交響曲)が初演されたホールとしても記念碑的な意味あいをもつ。

ホワイエには、飲物と軽食が用意されて、ようやくコンサート・ホールに来た時のうきたつ気分がわいてくる。
最も広いホワイエには、歴代の作曲家の白黒写真が飾られている。バッハ、ベートーベンも写真に見えるようなポスターが同じように並んでいて、チャイコフスキーらと仲間入りしている。別の小さい方のホワイエに行く途中の部屋には、ショスタコービッチの銅像がさりげなくたっている。ここでは、彼は特別扱いだ。そしてもうひとつのホワイエには、このコンサート・ホールの常任指揮者たちの写真が並んでいる。一番最後に、当日の指揮者であるYuri TEMIRKANOVが微笑んでいる。彼は、サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニーの首席指揮者であり、芸術監督でもある。

席は後方の中央部分で、傾斜が少ないので実際よりも舞台が遠くに感じられるのだが、まずまず良い席である。客席数は2000に満たないだろう。両脇にギリシャ建築のパルテノン神殿を連想させられる白く太い柱が何本もたっている。この付近にも観客がいて、彼らは身をのりだして聴く姿勢になる。柱が気にならなければ、日本人の感覚としては、おそらくかなり安いチケット代金だろう。プログラム代金は、5ルーブル。ロシア語版しかない。客層は、18日のマリンスキー劇場のオペラとは全然違う。ここは、ウィーンだと思えと言われても違和感がないだる。プログラムのためか、いかにもバレエリーナ、ダンサーの卵と思える10代半ばの人もいれば、スーツを来た老人夫婦もいる。日本人は、私たちだけである。さすがに、マリインスキー劇場の時のようなジーパン姿は見かけない。女性もそれなりに、きらびやかな服装をこころがけているし、男性もスーツ姿が多い。
h−ル会場は、ほぼ満員。所謂天井桟敷の人たちの姿も見えることから、今夜のプログラムの人気の高さがうかがえる。ガイドのガリーナが言うには、ポスターの扱いからして違うとのこと。そう言えば、ポスターの雰囲気は、日本のチラシに比べて遜色がない。チケットがとれたことは、幸運だった。
ロシア人指揮者といえば、ワレリー・ゲルギエフが世界に冠たる指揮者として今や飛ぶ鳥落とすくらいの勢いだが、来年70歳になられるユーリ・テミルカーノフも日本ではおなじみの方であり、激動の旧ソ連からロシアまで生き延びた人物でもある。ステージは画像ではわかりにくいかもしれないが、横に長くて奥行きがあまりない。なんとなく「波乗りジョニー」というお豆腐を思い出してしまった。


しきさて、オール・プロコフィエフという日本ではなかなかお目にかかれないプログラム。いよいよ演奏がはじまると、客席の集中度がオペラの時とは全然違う。誰もが集中し、演奏に耳をこらしている様子を見ると、音楽を楽しむだけではなく、ここサンクト・ペテルブルグでのこのホールでの成功がオーケストラや指揮者、ソリストの評判を決定する雰囲気が感じられる。
「ロミオとジュリエット」は、洗練さがいまひとつのような印象。バレエ組曲なので、踊りにふさわしいキレと空気の軽さ、もう少しドラマチックな要素があってもよいかも、とも思った。
交響曲第5番は、やはりよく練られている演奏だと感心する。彼らにとっては、「北の国から」に近いのかもしれない。演奏のツボをよくこころえて、手をぬくところと気合を入れているところをちゃんと弾きわけているような・・・。さすが、ロシア人。ロマンチシズムも彼らの手によると、日本人の真面目さと異なる趣である。ロシアの真髄を堪能とまでは到達できなかったが、ユーリ・テミルカーノフの指揮も明瞭で、コンサート・マスターの独奏も充分魅力的だった。指揮者が、サンクト・ペテルブルグ市民に愛されていることが伝わってくる。外国の(ここではあえてまとまりのない”外国の”という表現をするが)ホールの演奏は、何故かいつもより観客に親密な音をかもしだすように感じられてならない。不思議だ。。。そう言えば、ペロストロイカ後、バレエリーナは衣装を買い、音楽家は楽器を買ったというエピソードを聞いたばかりだったことを思い出す。
寒い時に、なにも寒い国に行くことはないだろう、と思うのだが、寒くなってからがコンサート・シーズンだからしかたがない。華やかな雰囲気で、ロシアでロシア人の作曲による曲目の演奏会を忘れることはないだろう。



−−−−−−October 20, Saturday 19.00 ST.PETERSBURG PHILHARMONIC −−−−−− 

1st concert of the Season Ticket No.6
«Passion to Romanticism»
ST.PETERSBURG PHILHARMONIC ORCHESTRA
Conductor - Yuri TEMIRKANOV
PROKOFIEV
«Romeo and Juliet», suite No.2 from the ballet
Symphony No.5



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2007.11.20 Tuesday

マリス・ヤンソンス(指揮)/バイエルン放送交響楽団

mennkon今年の秋は、いつまでも秋らしい空気の冴えた透明感がないとものたりなく思っていたが、先週の土曜日に一気に冬将軍が到来してしまった地方もあるようだ。でも、東京ではもうちょっと晩秋の気分を楽しみたい。なんたって私にとっては、この秋の最後のお楽しみは、マリス・ヤンソンス指揮・バイエルン放送交響楽団の演奏会である。

木枯らしにのって落ち葉がころがる中、向かうはサントリーホール。
前半はサラ・チャン独奏によるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、後半はマーラーの5番。
コバルトブルーに近い鮮やかな色に、裾の部分に赤みがかった薔薇色が交じる韓国のチョゴリを連想する色のドレスを着たサラ・チャン。米国生まれの生粋の米国人だが、”情熱的な演奏”というプロフィールを見るにつれ、チャンが韓国人だということを思い出し、今日のドレスもメンデルスゾーンの名曲にふさわしいブルーを選択しながら、独特の色の組み合わせとドレスのラインが、同郷の先輩格であるチョン・キョンファのような情熱的な韓国女性を意識してしまう。そんなチャンらしいメンコンは、どのような音楽なのだろうか。
冒頭のあまりにも有名なはじまりで、彼女の音はヴィヴラートの幅が広く、また多用しているのが、繊細で可憐というよりも扇情的な印象が残る。表現を変えると、このようなヴィヴラートを”情熱的”になるのかもしれないが、むしろ音量の小ささをヴィヴラートでカバーしているような気もしなくもない。
そして終始一貫して年齢の割には堂々たるスタイルのチャンの演奏は、さすがに安定したテクニックだが、私にはむしろ堅実で生真面目に感じる。第三楽章あたりのオケをリードするかのようなスタイルも好ましくうつるのだが、その一方で音楽上ではもう少しチャーミングな演奏でもよかったとものたりなさも残る。この曲は、ヴァイオリニストの人間性が現われるとよく言われるが、確かにそうである。10代半ばからキャリアを積んできた彼女は、今が第一の”旬”を迎えているのだろうか。

さて、今回の演奏会のスポンサーは、三角合併で新聞でよく紹介されていた某証券会社である。ホールの入口でそれらしきビジネスマンが多かったのでなるほど、と気がついたのだが、CDとプログラムのお土産つきの招待券をもった観客がけっこういらした。せっかく招待券をもらったのだから、とやってきた方にはちょっと厳しいぞ、マーラーの5番。時間も長いし・・・。そんな招待されていない(←なんとなくおもしろくない)一般観客のひとりである私が余計な心配することのなかった、マリス・ヤンソンス指揮のマーラー!トランペットのファンファーレをうけ、弦楽器群の音がはじまると、そこは一瞬にして豊かな音の海。10年前、心臓病で倒れたご老人とは思えないくらい、きびきびとした若々しいヤンソンスの指揮に、オケが一体となって、ある時は勝利の宣言をしたかと思うと、たちまちのうちに現実の混沌に沈み、そして優雅に、甘美に歌いながら音の海はうねりながら最終章になだれこむ。これならサルでもわかるマーラーだ。1時間15分、1分1秒の集中がとぎれることがなく、あっというまに過ぎてしまった。
私は素晴らしい演奏だと感じた。

観客の文字どおりの万雷の拍手の渦の中で考えたのだが、romaniさまのブログで拍手のタイミングに関する議論にもあったように、何故みんなそんなに速く拍手をするのか。曲はまだ終わっていない、、、と私が感じているまもなくいきなりいっせいに拍手。テニスやバレーなどのスポーツではないので、どう考えても早過ぎる。余韻も音楽だ、と苦言をしたい。以前は、こんなことなかったような気がするのだが。


−−−−−−−−− 07/11/20  サントリーホール −−−−−−−−−−−−−−

演奏:Bavarian Radio Symphony Orchestra
指揮:MARISS JANSONS 
ヴァイオリン:サラ・チャン Sarah Chang, Violin

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
Mendelssohn : Violin Concerto in e minor op.64

マーラー:交響曲第5番
Mahler : Symphony No.5 in c sharp minor
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2007.11.15 Thursday

Piano Presentation(ピアノ発表会)

matuグレン・グールドを語らせたら、まずこの方に敵う方はそうそうめったにいない!
そんな「calafのMusicLife」のcalafさまのお嬢様であるchiakiさんの発表会が、18日に加古川市の松風ギャラリーにおいて開催されます。
calafさまのカテゴリの中で、レッスンのエントリーが今日までで101。今追える記録は、2005年10月9日からはじまっていました。
お父様のcalafさまがいて、そのお父様から厳しいレッスンを受けてピアノを弾かれるchiakiさん。その日々の結晶のようなブログの内容からは、calafさまのブログのテンプレートのぺんぎんの親子のように、ただ楽しくピアノと歌って、というばかりではなく悩みや苦しみ、そして勿論レッスンの成果と喜びが伝わってきます。

今回のプログラムは、なんとオール・バッハです。(使用楽器は、ベーゼンドルファー。画像は会場の「松風ギャラリー」の外観です。Le Corbusierの作品を思い出させる素敵な建築物です。)

chiakiさんがバッハを好んで演奏されるきっかけは、小学生1年の時に殆ど毎日ご覧になっていたグレン・グールドの「On The Record Off The Record」と、バッハのインベーションについてのシュバイツァーの次の言葉にあります。(calafさまのブログから抜粋させていただきました。)


「これらの曲をひとたび練習した子供はーそれがたとえきわめて機械的な練習だったとしてもー抜き去りがたい声部誘導の直感を獲得するのである。彼は本能的にどの音楽にも、これに似た音の線の自在な動きを求め、それが欠けていれば貧しいと感ずることだろう。これらの曲を厳格な教師のもとで、形式的および美学的特質の両面から修得した人は、みずから創作する芸術家になるにせよ、あるいはただの練習者の仲間入りをするだけにせよ、それによって真の音楽芸術の基準を自分自身で持つことになるのである」
この文章を一読しただけで理解できる方は、いるのでしょうか。私は3回読まなければ意味を解釈できませんでした。
calafさまは、この文章をわかりやすくchiakiさんに説明され、それ以降chiakiさんは”練習者の仲間入り”としてこの言葉をレッスンの励みにされました。そして、厳格な教師であるお父様(←本当に厳しい^^!)のもとを巣立つ時が、chiakiさんの真の音楽芸術の基準を自分の中でしっかりもつ時だと思います。

人前で発表会を開かれるのは、今回が最後の予定とのことですが、あと1曲どうしても取り組みたいとおっしゃっているバッハの作品をしあげたら、chiakiさんはお父様の懐から飛びだたれるのでしょう。calafさまのちょっぴり寂しい表情を想像しますが、最近、音楽だけでなく社会にも目を開かれているお嬢さんの旅立ちを私は見守りたい気持ちです。

私信のようになってしまったこのような文章をブログで公表することにためらいがありますが、親子の情愛は誰もが共有する普遍な愛情です。
北朝鮮拉致問題の報道にふれるにつれ、人生において我が子(親)と濃密に関われる幸福とおおいなる喜びを考えます。

最後に、願わくば今後のchiakiさんの生活にいつも音楽がともにありますように
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2007.11.02 Friday

「李傅韻超絶提琴」

リーチャンこの男性は、ヴァイオリンをもった「若乃花」ではない。1980年青島に生まれた若いヴァイオリニストである。そして彼は写真のとおり、本当に、多くの意味で翔んだヴァイオリニストだった。

2003年に日本でも公開された中国映画『北京ヴァイオリン』は私の大変好きな映画でもあるのだが、主人公の少年チェンとった最後の選択は、今でも納得できない。そうは言っても、あの場面で多くの人が所謂”感動した”ことに関しては、私も理解している。しかし、その感動に貢献していたのは少年や父親の演技だけでなく、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の音楽である。あのチャイコンには驚いた。まるで少年の心を映したかのように、激しく、奔流のようなチャイコフスキーの音楽を、かって聴いたことがない。映画の音楽を全曲カバーして演奏し、チュンの恩師ユイ教授の成功した愛弟子としても出演していたリー・チャンユンが、上野の森にやってきたのである。

ステージに登場したリー・チャンユンは、まるでこれから格闘技に向かうかのような雰囲気なのであるが、この第一印象はふりかえると様々な暗示を与えていたように思われる。年齢の割には脂肪が堆積したおなか以上に、異様に背中についた筋肉に、二歳からヴァイオリンをはじめたという神童時代の生活がしのばれる。これまで積んだ体重よりもはるかに重い練習量を、調弦のためにピアノの方に向いた彼の背中が語っている。

最初の曲は、バッハの「シャコンヌ」。精神性の高いバッハの「シャコンヌ」を、リサイタルの最初にもってきていきなり弾くのは難しい。理性的にバッハの崇高なる世界を構築していくチャンユンの演奏と、造形する音楽の大きさに、聴衆は耳を傾けるというよりは静かにひたっていく。音量の大きさに感心するのだが、弓が楽器に傾き過ぎているような気もする。映画での演奏意外はなんの予備知識もなく、今回初めて彼の演奏を聴き、理性よりも情熱が勝る演奏家という印象を受けたのだが、このインスピレーションがまさにリー・チャンユンの際立った個性であることが次の曲でよくわかった。

二曲めのプロコフィエフのソナタを豪快に、また疾走するかのように奔放に演奏するリー。演奏中、本当にジャンプしちゃうのではないかとはらはらさせられるのだが、圧倒的なテクニックには、ただただ驚嘆せざるをえない。よくも悪くも端正に育てられる日本人ヴァイオリニストだったら、このようにスケール大きくは弾けないだろう。時代とソ連という国が要請した社会主義リアリズムのダイナミックさと独特の時代の雰囲気をだせるかが、皮肉にもプロコフィエフやショスタコービッチの演奏の要だとも私は思っているのだが、彼の今の音楽性はプロコフィエフのレンジを伝えるのにふさわしい。
しかし、その一方で後半3曲目のショーソンの「詩曲」のような神秘的で憂いに満ちた音楽は、自分の音楽を聴衆にプレゼンするよりも、むしろ観客を自分の世界へ誘うかのような音楽性を好む。この曲のゆるやかにほとばしる情熱も、秘めているからこそ美しい。曲によって音楽のアプローチを、もっと変えた方がよいのではないだろうか。せっかくの美味な料理も、同じ味つけなら飽きられることと同じだ。
これは全般を通して感じたことだが、比類のない個性をもち器の大きい音楽性にも関わらず、逆にそれゆえに緻密さに欠けているのが実におしい。抜群の技量をもちながら、ここははずせないツボで意外にも音程が悪かったりする。また彼のような演奏スタイルに、これ以上繊細な演奏を要求すること事態、贅沢なのかもしれないが、恩師のドロシー・デユレイ教授からの言葉にあるように「楽譜から“音楽の裏庭”にあるものを深く読む」ことを今後の課題として期待したい。音楽と格闘する情熱的なスタイルだけでなく、初恋の少女の髪に初めてふれるような、そんな本来音楽の道を選んだ者がもっているはずのはかない繊細さや微妙な彩を表現できたら、彼にはマエストロの王道が用意されるだろう。

今夜の演奏会で最も観客がわいたのが、彼の最大のセールスポイントである超絶技巧ぶりをいかんなく発揮したディニクの「ホラ・スタッカート」である。正確で早いスタッカートを弾かせたら、彼に並ぶ者はそうそういないだろう。これは、絶対に一度は聴く価値あり。
音楽にはその人の人間性が現われると常々言われているのだが、ここで私は彼の人間性になんの関心もわかないことに気がついた。有名な迷言を拝借すれば、アジアの至宝とまで表現される彼には、猫の額ほどの脳みそを問わない。だから、彼は、本物の神童である。しかし、その神童ぶりの才能を納得させるあまりにも驚異的なテクニックが彼の最大の魅力だとしたら、悲しいことに、むしろその技のエンターティメント性が、彼のもっている本来の深い音楽性を理解することから聴衆を遠ざけているような気もする。中国のヴァイオリストをめざす少年、少女にとっては彼は最高の目標でありスターかもしれないが、めざすベクトルは変えるべきである。何故なら、世界最速の陸上選手は、一人しかいらないのだから。

演奏会後にチャンユンのサイン会があったのだが、エイベックス社の宣伝不足で、せっかくCDを購入していながら知らないで帰った方が多いように見受けられた。終始ピアニストの浦壁さんに気をつかって盛り立てていたチャンユンの印象は、『北京ヴァイオリン』で演技をしていた傲慢なヴァイオリニストとは違う。プロフィールなどで時々紹介されている挑発的なポーズをとった品のない写真は、彼のシャイな素顔とそぐわない。東京文化会館小ホールは、地味だが今でも優れたホールである。伝統ある会場で開かれた次世代を担う未完の大器のリサイタルにしては、五嶋龍君に比較してあまりにも低い集客率が寂しい気持ちがする。彼が顔立ちもよい欧米人だったらまた違っていたかもしれない。しかし、彼にはこれからも毎年日本に来ていただき、ヴァイオリニストの両親からおくられた「傅韻」という名前にふさわしい音楽家としての道を歩かれることを願ってやまない。

−−−−−−− 07/11/1 「李傅韻超絶提琴」 東京文化会館小ホール −−−−−−−−

リー・チャンユン(Vn)  浦壁信二(Pf)
バッハ:シャコンヌ 無伴奏パルティータ 第2番より
プロコフィエフ:ソナタ 第2番 イ長調 作品94
ヴィターリ:シャコンヌ ト短調 
クライスラー:ウィーン奇奏曲
ショーソン:詩曲
ディニク:ホラ・スタッカート
サン=サーンス:ワルツ形式の練習曲によるカプリス作品52−6


2007.10.26 Friday

「ラ・ボエーム」おろしや国訪問記

ソビエト連邦ウクライナ共和国キエフの小さなバレエ学校。背が高いことと優秀な姉にコンプレックスをもっている内気な少女ノンナ・ペトロワは、バレエ学校の視察に来ていたレニングラード・ダレエ団で「金の星」と賞賛されているバレニーノ、ユーリ・ミノロフにその隠れた才能を発掘されてレニングラード・バレエ学校に編入する。山岸涼子の名作「アラベスク」、厳しいユーリの指導のもと、ノンナのバレリーナとして、また人間として成長して、ついにレニングラード・キーロフ劇場での新作バレエ「アラベスク」で主役を踊る物語は、今日も色あせずに元少女たちの瞳に星をともしてくれる。マリ
ノンナがトゥシューズでたった栄えある舞台レニングラード・キーロフ劇場は、旧ソ連の崩壊とともに本来のマリア・アレクサンドロヴナ皇后にちなんだ、”マリアのために”という意味の「マリインスキー劇場( Мариинский театр)」という名前に戻された。また1989年から音楽監督をつとめるワレリー・ゲルギレフの巧みなタクトは、かっての旧ソ連の栄華を誇った”レニングラード・キーロフ”という名前を歴史に刻ませて、現在は「マリンスキー」、通称”マリイーンカ”の名前を世界中の音楽、バレエ・ファンに広く認知させた。

さて、10月18日は、その憧れのマリインスキー劇場でプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を鑑賞する。
劇場の内装は、建築家アルベルト・カヴォスが設計して、その後19世紀後半に改修されてから殆ど変わっていないそうだ。豪華という表現がガイドブックには見当たるが、確かに金箔を施された柱、イタリア人画家による天使の天井画は、旅行客の気分を盛り上げてくれる。つまりハコものの表面は豪華だが、日本人の感覚では清潔とはいえない数の少ないトイレ、陰気なホワイエ、ロシア人、我々のような観光客を含めて、予想外にラフな服装、率直に言って質素な身なりに一抹の不安も感じなくもない。案の上、舞台の幕があがり、ちょい「いけ面」(←堂々「広辞苑」入りの単語)の若手指揮者が颯爽とタクトをふって音楽が鳴りはじめても、ひそひそと会話をする声が細かなさざなみのように観客席を漂っている。
ぼおりしも暗闇で、偶然を装って手にふれてきた(←痴漢行為ではない)詩人ロドルフォから「冷たい手を」とアリアの熱唱をあび、「私の名はミミ」と貧しいお針子のせつせつたる(たとえ体格が詩の内容を裏切っても)可憐な歌声がホール一杯に響き渡り・・・日本からこのためにはるばるやってきているのだからして、旅費代を回収するかのごとく情緒にひたっている私の前では、20代前半のロシア人カップルが現実的なふるまいとおしゃべりをはじめて迷惑を感じる。このいただけないイケテナイふたりだけでなく、後方からもあちらこちらから、舞台に集中していない雰囲気が伝わってくるではないか。確かに、気楽にジーンズでオペラを鑑賞することはよいと思うのだが、世界で一流と評価されている「マリインスキー劇場」の看板にふさわしくない会場の空気はいかがなものか。
舞台装置はオーソドックスで、西欧の研ぎ澄まされた感性のオペラに慣れているとものたりないが、そこは「華奢な女」が好みの詩人が一目ぼれしたとは思えないミミ役を演じたOlga Trifonovaさんのりっぱな体型と素朴なロシア女性の顔立ちを好ましく感じられる実力もあり、はつらつとしたボヘミアンたちの音楽が楽しめただけに残念。思うに、マリインスキー劇場が有名で外見がゴージャスであるがために、上京してきた田舎者や旅行客が一度は行きたい”観光コース”、カップルの新しいデートスポット、六本木ヒルズ状態になっているのだろう。。。

全く、私が米原万里子さんのようにロシア語ができたら、こう叫びたい!!
                ↓

”Метать бисер перед свиньями.”

夜7時に開演、幕間は一回だけで9時に終演。
マリインスキー劇場は、西欧のオペラやバレエを上演するとともに、ロシア古典バレエ、オペラ音楽は殆どこの舞台から世界に出た。



−−−−−−−Thu, 18 Oct 2007, 19:00 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
La bohème
opera in four acts
Music: Giacomo Puccini
Production by Ian Judge (2001)

Olga Trifonova
Karina Chepurnova
Yevgeny Akimov
Andrei Spekhov
Vladimir Tyulpanov
Edward Tsanga
Conductor: Gavriel Heine


2007.10.25 Thursday

「チャイコフスキーの家博物館」おろしや国訪問記

ちゃい多分、私がこれまで最もよく聴いている曲は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ではないかと思う。
その大好きなチャイコフスキーが晩年を過ごした家が、現在「チャイコフスキーの家博物館」(ОСУДАРСТВЕННЫЙ ДОМ-МУЗЕЙ П.И.ЧАЙКОВСКОГО)として当時のままに保存されている。

10月23日の早朝、モスクワ空港からサンクト・ペテルブルグに向かう道を90キロ、1時間強ほど車で走ってクリン市郊外にある「チャイコフスキーの家博物館」に到着する。チャイコフスキーは引越し魔だったそうだが、森に囲まれたこの家を大変気に入り、1985年に転居して晩年を過ごした。10時開館のところを30分ほど早く着いてしまったため、現地ガイドのナターシャが交渉して、早めに開館していただき見学する。

贅沢を嫌ったチャイコフスキーらしく、こじんまりとしているが素敵な家である。正面玄関を開けるとそのまま食事部屋になっているのだが、玄関ではなく、チャイコフスキーがいつも出入りしていた横にある入口から入室した。面会時間を指定したプレートがドアにかかっているのが、生真面目なチャイコフスキーらしさを感じられる。だからというわけではないが、室内の清潔さと保存のために、フェルトのスリッパを靴の上からはかされる。(このスリッパは、ボランティアのあばちゃんたちが洗濯しているそうだ。)



ちゃい2階の作曲したり、読書や友人と会談した一番広い部屋には、当時彼が使用していたドイツ製のグランド・ピアノが晩秋の淡い光を照らして穏やかに光っている。有名な交響曲第六番「悲愴」が生まれた部屋でもある。このピアノは、彼の誕生日と命日、またチャイコフスキー国際コンクールの栄えある入賞者だけが弾くことが許される・・・とガイドブックなどには記載されていて、思わず厳粛な気持ちになったのだが、実際はご近所の学校の音楽教師が来て観光客のためにピアノを弾いちゃったりすることもあるらしい。(添乗員談)その笑えるいい加減さがロシア的なのだが、読書家だったという彼の蔵書やファンからの手紙に返事を書きまくったために手紙魔と言われている愛用の机、毎日使用していた手のむくもりを想像されるステッキ、写真嫌いの彼の貴重な写真やあまり似ていない父や家族の写真などを眺め、窓外に広がる美しい景色に感慨にひたっていたところ、実にタイミングよくチャイコフスキーの名曲「感傷的なワルツ」の音響の悪いピアノ曲が流れる。すると、いきなりパチッという音ともに電気が突然切れてしまった!理由は不明だが、昔は電気がなかったのでこんなもんですよという説明?をされ、少しうす暗くなった室内をガイドの案内に従って移動する。確かに、夜は蝋燭をともしたかもしれないが、昼間のうっすらと暗い室内の窓から眺める戸外の景色が逆に瑞々しく映える。

現在は住宅が何棟も建っている隣の敷地は、かっては森だったそうだ。チャイコフスキーは、毎日午前中の4時間、森の中を散歩をすることを日課としていた。彼が作曲したのは、ピアノの前でも机の前でもなく、散歩をした森の自然の中だったのだろう。庭には、チャイコフスキー国際コンクール入賞者による樹が植えられていて、1958年第1回目で優勝した米国人ピアニスト、ヴァン・クライバーンが植樹した樹が大きくなっていた。近年はコンクールの歴史とともに植樹用の敷地が手狭になり、ゴールデン地帯からはじっこに樹を植えるようになったそうだ。庭の真中には、まるで日本人向けの写真撮影のためかのように、散歩の途中にベンチで読書しているチャイコフスキーのブロンズ像がある。(写真撮影は有料で、100ルーブルをチャイさまのために献納しなければいけない。)



ちゃい入口にあった資料館でお土産用の楽譜を購入。
見学後の昼食は、近所のやりてという牧師さんが経営する教会のレストランで、手作りのピロシキの食事をする。ビールが50ルーブル程度と安く、食事も素朴だが美味しく満足。また給仕をしてくれた女性が、典型的なロシアのお母さん風の体型と風貌で、スープを一皿ずつこぼさないように慎重に運んでいる姿に思わず微笑んでしまった。
平日のためか、来訪者も少なく静かなこの街も、来週には雪が降り、本格的なロシアの長い冬がはじまる。

ちなみに左の白黒写真は、チャイコフスキーが住んでいた当時の家だが、博物館の館長になった甥がその後増築したために、現在はもう少し広くなっている。



2007.10.08 Monday

「中村紘子のピアノ学院(1)あなたも一流ピアニスト!」より

ナカ名演奏家は必ずしも名指導者になるとは限らないが、やはり演奏家として実践を積んでいる油ののった音楽家は、今聴衆に求められている演奏上のツボをちゃんと把握していると思う。それに教育者とは異なるオーラと色気があるように見受けられる。自分がピアニストになりたかったら、絶対一度はレクチャーを受けたいのが、数々の著書で魅了された中村紘子さまだ。
司会者の黛敏郎氏が亡くなられてから殆ど観ることがなくなった「題名のない音楽会」であるが、昨日はその中村紘子さんによる「中村紘子のピアノ学院(1)あなたも一流ピアニスト! 」という企画。これは観逃せないとばかりに、テレビの前に集中する。

本日の、ピアニストをめざす幸運な生徒さんは3名。
トップバッターの中学2年生の男の子が、ショパンの「バラード第1番」を達者に弾く。真っ白なYシャツに黒いズボン、きちんとした髪型に絵に描いたような典型的なクラシック音楽を学ぶ清潔な感じの男の子の様子が大変好ましい。真剣にピアノを弾く横顔が可愛らしいが、音と表現が平板である。この年齢なら、致し方がないと思うが、紘子先生はフォルテを弾く時は、手のカタチを変えなさいと手のひらを高くあげて実演する。「フォルテを弾く時も、ピアノを弾く時も、同じ手のカタチはありえない。表現によって、手のカタチを変えましょう。」もしかしたらピアノを習うお子さんの間では、これは常識かもしれないし、改めて考えてみたら物理的にあたりまえのことなのだが、私にはまるで目からうろこような感覚だ。ゲームセンターにある景品をつかむゲームをする気持ちでがしっかりとつかむカタチと、わかりやすい説明で確かに音色が変わった。

次は芸術課を専攻する高校生で、前に出演した男の子と逆に今時のスタイリッシュな髪型、服装にまとめている。彼は、一番好きな作曲家のラフマニノフの「楽興の時 第3番」に挑む。コンクール入賞の実績もありうまいのだが、なにかものたりない。すかさず紘子先生が「椅子が低い」と一言アドバイス。「あなたは、ピアノへのこだわりを感じる。」これには彼の雰囲気、ラフマニノフ、演奏から感じたのだろうが、まさに正鵠をえていて、中村紘子さんの慧眼に驚く。「ラフマニノフは、一番ピアノが上手だった作曲家。ショパンのピアニシズムからの流れからピアノ曲の頂点を極めた人。ラフマニノフは大変華やかだけれど、それは重くて暗い華やかさ。それをだすためには、手先で弾くのではなく体をのせて弾きなさい。」この間の指導がすごく熱心である。そこにピアノへの情熱が伝わり、客席の集中しながら楽しんでいる雰囲気が伝わる。

最後は、真紅のドレスを着た東京音大の女性によるラフマニノフのピアノ協2番。無難に弾いてはいるが教科書どおり、というのは経験不足からだろうか。
まず、あなたはオケとあわせるのは初めてでしょ。大変よく弾けたわね、と誉め、本題に入る。
「どじでまぬけで(もしかしたら、紘子センセはのだめを観てた?)下手でも、私の演奏はすごく素敵でしょ!嘘でもそう思い込んで弾かなくちゃいけない。オケは自分のためにある。それがないと、”お上手にお弾きになってらっしゃたわね・・・”で終わっちゃうの。」これは、名言である。
それから小柄の彼女に具体的に、背中が動いていない、もっと体で弾くようにと演奏中の後姿を見せる。

やっぱり、国際的なコンクールの審査員も務めている中村紘子さんの頭の回転力の速さ、的確で説得力ある指導と、ピアノの曲や作曲家の背景を充分に知り尽くした奥の深さと引き出しに感銘を受けた。calafさまがご覧になったら、もっと詳しい解説がかえってきそうだが・・・。


2007.09.12 Wednesday

ロリン・マゼール指揮トスカニーニ交響楽団

おけ日本が誇ると豪語したいサントリー・ホールが昨年、開館20周年を迎えて、5ヶ月もの期間をかけて全面改修工事を行っていた。
9月から新装オープンしたホールは、評判どおりに以前の重厚で落ち着いた雰囲気から、あかるめの軽快な印象にしあがている。ワインで言えば、赤ワインからロゼに口当たりが変わったというところだろうか。個人的には、ここで歴史をつくった音楽の敬意をささげて、どっしりとした華やかさを好む私としては、少々ものたりないが、車椅子席を増やし、幅広い観客を対象にユニバーサルデザインを採用し、さすがに国内のリーディング・コンサートホールだと感じる。

さて、まるで若返った軽やかで明るいホールにふさわしいかのような今夜の主役は、ソリストとして五嶋龍君と彼を迎えたトスカニーニ交響楽団 である。
同オケは、名前のとおり偉大なマエストロ、アルトゥーロ・トスカニーニの遺産を受け継ぐべく創立されたトスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団を前身に、昨年トスカニーニ財団から独立すると同時に、活動拠点をミラノのアルティンボルディ劇場に移した。このオケの最大の特徴は、メンバーは団員としてではなくソリストとして契約し(多分全員個人事業主みたいなものだろう)、ひとつのポストに2〜3人の定員枠があり、その枠をえるためには競争するという。
団員にとっては不安定な身分ではあるが実力主義であり、組織の活性化は常に新鮮な音楽をもたらすだろう。

「ローマの松」「ローマの噴水」の色彩感覚が溢れる音楽は、まるでお家芸のように輝かしく華麗で、また幻想的にしあがっている。たまたま演奏会前に観たイタリア映画の舞台であるトスカーナの田園地帯とはるかなどこまでも青い空を想いだす。オケの成り立ちと若々しい演奏家たちの個性が、この曲に大変マッチしていた。今回は、P席だったのだが、メンバーたちの音楽を団員というよりも音楽家として楽しんでいる雰囲気が後姿からよく伝わってくる。なんとなく、真面目なドイツ・オケとはタイプが違うオーラがかもし出ているではないか。男性演奏家が、おしゃれでいい男が多い。さすがに、イタリアは違う。


と五嶋龍君のパガニーニは、音楽性を深めるよりも華麗なる技巧を披露するというスタンスが感じられ、評価がわかれるかもしれない。けれども、これも10代の男の子らしいあくなき探究心?とチャレンジ魂と考えれば、彼の成長を長い目で楽しみにできる。アンコール曲も含めて、体操選手が超絶技巧をマスターするかのように、好奇心が溢れている。これは、彼にとってはむしろ好ましい資質だと思う。ハーバード大学で物理を専攻している彼のもうひとつの世界の幅を広げるのに役立つはずだ。私は気がつかなかったが、舞台のドア付近にいつものように控えていたステージ・ママの五嶋節さんの耳は納得しない演奏だったであろうが、パガニーニはこれからもどんどんレパートリーに取り入れて積極的に果敢に挑んで欲しい。ヴァイオリン好きの者にとっては、やはりパガニーニは悪魔のような存在だから。余談ではあるが、彼のおじぎする姿は、すでに若造の域をこえてプロフェッシャナルな気品があり、大変美しい。

久しぶりに見るロリン・マゼールの髪が、すっかり純白にかわっていることに驚いた。同席した友人が、はじめて社会人として働いてもらった初任給で、お母様と叔父様夫婦にロリン・マゼール指揮の演奏会のチケットをプレゼントしたという話を聞いた。当時もなかなかの高額で、けっこうな出費になったらしいが、素敵なエピソードだと感心する。指揮者は長生きするから、再び日本に演奏旅行にくることを願いたい。


−−−−−−07/9/12 サントリーホール-------------------------------

ロッシーニ:歌劇「絹のはしご」より 序曲Rossini: Overture from “La scala di seta
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番 二長調Paganini: Violin Concerto No.1
(ヴァイオリン:五嶋 龍)Violin: Ryu Goto
レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」Respighi: Symphonic Poem”Fontane di Roma”
レスピーギ:交響詩「ローマの松」Respighi: Symphonic Poem”Pini di Roma”

■アンコール
パガニーニ:ゴッド・セイブ・ザ・クィーン
(ヴァイオリン:五嶋 龍)Violin: Ryu Goto

ヴェルディ:オペラ『運命の力』序曲

■アーカイブも
五嶋龍のオデッセイ
五嶋龍」ヴァイオリン・リサイタル

2007.08.06 Monday

コンサートの時の食事は

偶然検索でたどり着いたのが、クラシックサイトの老舗「CLASSICA」の管理人の飯尾洋一さんのブログ「ネットエイジのクラシックジャンキー」。
そこで取り上げられていたのが、<食事はコンサートの前?後?中!?>という藝術鑑賞に似つかわしくないが、けっこう切実な命題である。
飯尾さんは「夜、コンサートやオペラに出かけるとき、食事をどうするか。これはなかなか難問だと思うのだが、みんながどうしているのか、案外わからない。 」と音楽ファンになげかけている。そのアンケートの結果がこれである。


■No.17 仕事(授業)のある平日夜7時からのコンサート、いつも晩メシってどうしてる?
(有効投票総数 :3728)
コンサートの後に食べる ⇒1623 (43.5%)
コンサートの前に食べる ⇒ 1253 (33.6%)
いつも困る。どちらともいえない ⇒699 (18.8%)
コンサート中に食べる ⇒153 (4.1%)


そうなのだ、昨年は偶然にも3回ほど同じコンサートに聴きにいかれていたromaniさまや、演奏会に脚を運ぶ方に一度ゆっくりお尋ねしたかったのが、平日夜7時からのコンサートの時のお食事、飯、ディナーなのだ。と言っても、私の場合、会社を強引に5時にベルダッシュするか、思い切って午後休暇をとるというおしとやかな蛮行でゆっくり食事はできないが、とりあえずワインをたしなみ、いつも食事は済ませておく。(←う〜〜ん、でも、この”済ませる”という表現は、とても不本意。)
欧米では、開演じたいが夜の8時過ぎというのが多い。そもそも自宅から会場まで、日本のようにそんなに遠くないので、仕事帰りに一度帰宅してシャワーを浴びて着替えてからくる方もいるそうだ。夏など、日が沈むのが遅く、終演後に音楽の余韻を楽しみながらゆっくりワインを呑んで(←どうしてもアルコールは音楽鑑賞と抱き合わせで除外できず、私の場合。)食事、という至福のメニューも可能。

ああ、それなのに、それなのに、、、我がニッポンの住宅事情と働き蜂という生態が、なかなか平日のコンサートを優雅に楽しむという状況を許してくれない。
全く、サントリーホールまで徒歩圏内は無理としても、せめて30分程度の時差で通える場所にお引越ししたいものだ。しかし、それだけでは問題解決にならない。
そんな個人の悲しい事情だけでなく、終演後に食事を楽しむレストランがあまりないのではないだろうか。ゆっくり食事をしたら、2時間近くかかる。盛り場の酒場で、くだをまきながら呑んでいるおじさんたちが集う場所ではなく、そんなに遅い時間まで美味しい食事を適切なお値段で提供していただきたい、そんな当方の甘えを受けてくれるお店もなさそうだ。
もっと切実な話だが、演奏会前に食事を楽しみたい派としての悩みが、サントリーホールに開演時間ぎりぎりにかけこめるレストランがなくなってしまったことだ。寛容範囲でアークヒルズ内にあるオムレツ屋さんぐらいだろうか。以前は、よく愛用していた「レストラン ミラノ」には、懐かしくも心あたたまる思い出があったのに・・・。これは、由々しき問題ではなかろうか。全日空ホテルの「カスケイドカフェ」は、ランチタイムは利用できるが、夜はどうもね。東京芸術劇場は、近くにあるイタリアンの居酒屋が味もよくて値段も安いので、便利に利用しているが、困るのが東京オペラシティ。ここも、毎回食事をする場所に悩むホールだ。最近は、居酒屋で酎ハイを呑みながら”釜飯”などという、およそかってはクラシックをこよなく愛する乙女の演奏会前の想像もつかなかったシチュエーションで挑む時もある。それどころか、トッパンホールや第一生命ホール、昨年行った三鷹の「風のホール」など、周囲に友人や家族とちょっとお茶や食事をするお店すら見当たらないという難民になってしまう場所すらある。世俗から離れた非日常にひたることでリフレッシュしたい気持ちと、空腹を満たすという生理的な欲望ではミスマッチかもしれないが、ここ数年おおいに懸案している事項である。

この難問は、なかなか解決できそうもない。よいお店があったら、是非内緒でご一報を♪



2007.07.24 Tuesday

「のだめカンタービレ」二ノ宮和子著

のだめあれから千秋とのだめは、どうなったのか。(まずここに関心がくるのも、イタイ感じもするのだが。)多くの少女漫画の場合、恋からはじまり、そのせつなさとドキドキ感で読者の共感をよび、恋の成就でハッピー・エンドに終わる。しかし、あの俺様千秋と、あの変態ののだめだから、そう簡単には成就できない。。。
けれど少女漫画の王道らしく、恋の発展系はきちっと段階をふまえて示して欲しい。嗚呼、妄想がハシッテしまうではないか。
どうやらパリで半同居(←同棲か?)生活を送っているようだが、彼らには厳しくも気高い音楽がたちはだかっているため、そうそう簡単にはゴール・インできない。なんたって、アパートの珍獣たちも含めて、彼らは今が正念場。
ターニャやユンロンがコンクールに出場する雰囲気から、のだめもコンクルに出場したいとオクレール先生に打診するのだが、笑いながらあっさり却下される。ここで気が付いたのが、のだめももう24歳!じゃん。世間的には、エビちゃんよりも充分”若い”と言える年齢だが、重要なコンクールで優勝しても”旬”な新鮮味はもはやない。

ショパン・コンクールで言えば、85年の優勝者のスタニスラフ・ブーニン、それから15年後に優勝したユンディ・リ、ともに18歳で彗星の如く現われて優勝した。(一昨年のショパンの再来と言われたラファウ・ブレハッチは20歳)チャイコフスキー・コンクールで日本人初のピアノ部門優勝者の上原彩子さんが21歳、Vn部門では諏訪内晶子さんは当時わずか18歳だった。
オクレール先生は、のだめを晩熟型の大器と判断し、コンクール競争には参戦させないつもりなのだろうか。


のだめ2たまたま青柳いづみこさんの最近の著書「ピアニストは指先で考える」を読んでいるのだが、27年前のデビューのきっかけの話題はなかなか興味深い。フランス留学4年めにして、将来を案じた父君から自主リサイタルのために帰国せよとのお達しが入った。青柳さんの恩師で評伝も書かれた安川加壽子さんからも、早くデビューした方が良いとのことだった。
コンクール歴なし、留学先もパリ音楽院ではなくマルセイユ音楽院。両親ともに教師だったことから大学関係者に電話をかけて、チケットもさばいた。フランス文学者の高名らしい祖父をもち、有力なバックボーンをもっている方は、このように血縁関係の力だのみでリサイタルにこぎつけることができる。
しかし、音楽一家でもなく、ごく普通のサラリーマン家庭の子弟が、職業としてピアニストであり続けるには、やはりコンクールで賞をとって知名度をあげ、音楽歴に箔をつけtてスタートするしかないのではないだろうか。勿論、天才はいずれ道が開ける。けれども、天才はいつでもどこにでもいる時代でもあり、また次々と誕生していく。

青柳さんは、欧米では大器晩成型はだんぜん損であると言い切っている。スタート時点で、重要な国際コンクールの入賞歴があるか、辣腕マネージャーがついているか、大物演奏家や評論家のお墨付き(←古い表現だな)がない、演奏活動そのものができなくなってしまうと忠告している。

のだめは、どのように本格的にヨーロッパでデビューしていくのか。いつかは、大きなコンクールに挑戦するのか。
まだまだ彼女のピアニストへの道のりは長い。そして果てしない。いや、千秋とのだめがゴールインするまでの道のりも長いけれど。。。


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