千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
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2007.09.22 Saturday

『二十四時間の情事』

ひろ忘却は、苦しみや哀しみを遠ざける治療薬である。
その一方で、忘れたくないこと、忘れてはいけないことを、抱えているのも人間だ。

ホテルの一室で、男と女が抱き合う。何度も何度もお互いの肌にふれ、慈しみ、互いの瞳を見つめ、官能のままに自由に・・・。
女は男の精悍な背中に手入れの行き届いた指をはわせて、「ヒロシマを見た」と伝える。
男は、「君は、ヒロシマを見ていない」と言う。
一晩の情事でどれほど男を心から愛し尽くしても、どんなに女を抱きしめても、女が病院を訪問し、被爆者に会い、原爆記念館で資料や映像を見て”ヒロシマ”を見たと言っても、男は”ヒロシマ”を見ていないとくりかえす。
冒頭のふたりの会話と流れる映像が、なんとはかなく、そして悲しくも残酷なのだろうか。

戦禍が去って、10余年、平和の街となった広島に反戦映画の撮影にきていたフランス人女優(エマニュエル・リヴァ)は、日本人建築家の男(岡田英次)と出会って、一晩をともにする。しかし、24時間後には、女は夫と子供が待っているパリに帰らなければいけない。お互いに愛しあっても、”情事”にするしかない事情を女は抱えていた。その事情とは、妻や母の帰国を待っている夫やこどもの存在ではない。それは、決して忘れてはいけない、あまりにも過酷な記憶。太田川によりそうようにたっているカフェで、女は20歳まで住んでいた故郷のヌヴェールを、男に語り始める。髪を刈られ、地下室に閉じ込められていた頃のことを話しはじめると、男が自分の存在を訊ねる。
「僕はどこにいるの。」
「あなたはドイツ人で、私はあなたの血をなめていた」と女はこたえる。そこから、女の記憶は若かりし頃の思い出の街に戻っていくのだったが。。。



ひろ当初45分間の短編映画を予定していたアラン・レネ監督が、川べりに佇む女性の姿に構想をえて、原作と脚本をマルグリット・デュラスに依頼して長編映画を制作したのが本作品である。ふたりの戦争体験が、交錯することはなかった。女は、戦中、戦場にいたために被爆しなかったが、家族は全員広島にいたという男に、あなたは幸運だったと言う。この情事の後の何気ない会話は、後半重要なポイントになる。はじめは女の個人的な激しい恋愛の話からはじまる。相手は、許されることのない敵国、ドイツ、ナチスの青年将校。やがて終戦を迎えると、村人たちによる女への屈辱的な報復が行われ、そして失われた初めての恋。女にとっては決して忘れてはいけないのが恋人との逢瀬であり、肌のぬくもりであり、何よりも青年の存在だった。広島で日本人の男性と体を重ねて、激しい感情のゆれからゆっくりうかびあがるのが、心の奥底に静めていたかっての恋人との情熱だった。故郷を離れた時から、誰にも語らず守り続けた青年との恋が、新しい男性との新しい恋がいざなうかのようによって再び思い起こされる当時の生々しく激しい感情と狂気、それは恋の甘美と同時に彼女に残酷なほど深い苦しみもよみがえらせた。
女の意識は過去ヌヴェールと、現実、広島の間で混沌としていく。
そしてあんなにも愛していたのに、すでに忘れかけていることへの恐怖と、新しい男への魅力に傾斜していくことへのとまどいにゆれる。

ここからアラン・レネ監督は、女の個人的な体験から、もうひとつのテーマー”忘却”へと導いていく。
忘れることは、ある種の解放をもたらす。かっての苦しみや悲惨、過ちから解放されることを意味する。そして忘却は、次の新しい可能性もうむ。女と男がさまよう広島の街は、原爆投下の象徴を残しながらも、市内の夜は歓楽街へと変貌をとげている。わずか9秒間で死者20万人、負傷者9万人をうんだあの日と、人々の再生するエネルギーと広島の躍動する活気が交錯する映像に、世界の矛盾と忘却することの意味と罪に我々はなにをこたえたらよいのだろうか。
やがて女は苦しみの中から悟っていく。何故、男が君はヒロシマを見ていないと言っていたのか。個人の苦悩・悲劇から人類の犯す罪に重ねていき、お互いの名前を呼び合うラストは、哲学的で崇高ですらある。
光と影が交錯するモノトーンの前衛的な映像が、今日観ても斬新で、美しい。音楽も映像にふさわしい。映像、音楽、マルグリット・デュラス脚本によるふたりの会話、すべてが計算されていて意味があり、それらを理解するには受身で映画を観る習慣に慣れてしまった人には、難解で退屈な映画かもしれない。広島の街には、何度も訪れたことがある。映像の中の1950年代の広島が、まるで異国の全く知らない町のような印象を受けた。そして、広島の無防備な表情の人々。まるで見知らぬ異邦人のような顔ばかり。時代は、確実にあの日からはるかに遠ざかっている。けれども、我々は決して忘却してはいけない”名前”をもっている。
この映画は、単なる恋愛映画でもなければ反戦映画でもなく、またイデオロギーを問う映画でもない。しかし、反戦映画をこえた深くて重い問いかけを我々にもたらす歴史に残る傑作映画だ。

「忘れたとき、歴史は繰り返す」
男は、微笑みながら女を見つめて語りかけた。

監督:アラン・レネ
原作/脚本:マルグリット・デュラス




2013.12.15 Sunday

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映画評「二十四時間の情事」
☆☆☆☆(8点/10点満点中) 1959年フランス=日本映画 監督アラン・レネ ネタバレあり
(プロフェッサー・オカピーの部屋[別館] 2007/09/24 7:26 PM)
二十四時間の情事
(1959/アラン・レネ監督/エマニュエル・リヴァ、岡田英次、ベルナール・フレッソン、アナトール・ドーマン/91分)
(テアトル十瑠 2013/07/14 9:28 PM)

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