千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
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2013.12.15 Sunday

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2007.07.15 Sunday

『特別な一日』

特別1939年5月3日のその日は、歴史上特別な一日だった。ナチスのヒトラーたち高官がローマのムッソリーニを訪問した記念すべき日である。
街中がこの”素晴らしい”式典に出席するために早朝より浮き立つ気持ちで沸き、市民は正装して次々と式典の会場の広場に向かう。アントニエッタ(ソフィア・ローレン)の住むアパートの窓からも、次々と飾られたイタリア国旗とナチス親衛隊の旗が威勢良くはためく。やがて式典がはじまった。さっきまでのアパートの住民の喧騒が嘘のように、しんと静まり返っている。それもそのはず栄えある式典に出席しないで残っているのは、老いた管理人の老婆と変人と言われる男、そして家事のために出席できないアントニエッタだけだった。
これからはじまる一日、けれどもアントニエッタは朝から憂鬱で疲れきっていた。夫から指示されて絶対忘れてはいけない背広のアイロンかけ、こどもたちの世話、掃除、炊事、洗濯、と昨日と同じ今日、そして明日も同じ一日。。。
そこへ飼っていた九官鳥が、管理人から嫌われている男の部屋に逃げこんだことをきっかけに、アントニエッタはその変人と呼ばれている男と知り合うようになる。彼の名前は、ガブリエレ(マルチェロ・マストロヤンニ)。陽気にアントニエッタにルンバを教える彼は、独身でラジオ局に勤務していた。最初は遠慮がちに、けれどもお互いに離れがたく、ふたりはアントニエッタの部屋で会話をはじめる。熱心なファシストであるアントニエッタがムッソリーニの記事を集めたアルバムを見つめるガブリエレ。ある日、公園で馬上のムッソリーニに偶然会い、目と目があった瞬間に感激のあまり気を失ってしまったと頬をじょうきして語り、「天才は男だけ」という記事の見出しを読み上げるアントニエッタ。そんな彼女を微笑みながらわずかに憂いをたたえて、ガブリエレは私の母は女性だったが天才だったと伝える。自分の価値観で考えることがいかに大事かと。。。

生涯160本もの映画に出演したマルチェロ・マストロヤンニが最も好きだったという映画が、この『特別な一日』である。
(以下、内容にふれています。)
冒頭はモノクロのその”特別な一日”の記録映画ではじまり、映画の中では音楽はなく、式典に出席しなかった彼らの背中を追いかけるように高揚したラジオの報道が流れる。第二次世界大戦前夜の興奮がひしひしと伝わる。朝の6時、次々とアントニエッタがこどもたちを起こす場面が最初に印象に残る。ミドルティーンの娘から3歳の幼子まで、なんと数えたら合計6人のこどもたち。さすがに子沢山のイタリアの母!◎◎、と最初は思うのだが、やがて国の政策によって戦争のために女たちが多くのこどもを産んだ事情が伝わるところが、この映画の凄さだろう。時代は、ファシストが席捲していた。そして家庭をもたず、同性愛者は、売国奴と蔑まれ、反ファシストととして処罰された時代だった。同じアパートの部屋なのに、アントニエッタとガブリエレの部屋は対照的である。脱ぎ散らかしたこどもたちの服装や下着が散乱し、汚れた食器が積まれた食卓、一方紐でくくられて本がおかれ、絵を壁からはずし片付けられたガブリエレの部屋。散らかった朝の食卓で、こどもたちの飲み残した珈琲を集めて飲みひとりでぼんやりしているアントニエッタには、家族から人として忘れられた存在の主婦の姿がうかぶ。ソフィア・ローレンが教養のないことにコンプレックスを抱いている平凡な主婦を演じているのだが、色褪せてくたびれたワンピースの中から伺える肉体と同じくらいに重い存在感を放っている。(その重さはこの女優と共演する男優が気の毒な気がするくらいだ。)そんな自分を家政婦がわりにしかみない夫の凡庸さにいつも侮蔑された存在という実感が、はじめてガブリエレのおかれた立場の苦悩にめざめ、ついに自分の価値観でひとつの行動をする。その行動は、社会ではなく、アントニエッタとガブリエレのそれぞれに、個人としての特別な一日をもたらす。それはまた、”素晴らしい”一日でもあった。たとえ彼から贈られた本を最後にそっと戸棚にしまったとしても。

本作品は、決して大作でもなく、公開当時はそれほど話題作でもなかっただろう。むしろ地味な室内劇という形式の佳作である。反ファシストを描きつつも、メッセージ性は殆どない。うっかりすると、よくある昼メロとしか観られかねない可能性すらある。しかし、作品の完成度が非常に高く、またその奥の深さにたちどまる映画である。どの場面のどの演技も脚本も無駄がなく、意味があり、夫役や管理人役も含めて実に自然体で演じている。マルチェロ・マストロヤンニがこの映画を好んだ理由もなんとなくわかる。社会と個人を対比しながら、また情事における女と男の受けとめ方の違いも、皮肉にもマルチェロ・マストロヤンニの私生活を彷彿させられた。
屋上での真っ白なシーツの洗濯ものがはためく中で、もつれあう女と男のシーンは映画史に残る。このワン・シーンだけでも映画の醍醐味がつまっている。公開されてから30年経ても、尚映画の品質を失わない不朽の名作というのは、このような作品をいうのだろう。まさに俳優は映画の中で永遠にいきると考えたマルチェロ・マストロヤンニの代表作といってもよい。イタリア映画の芸術性の高さを知らされる映画でもあった。

監督:エットレ・スコーラ
1977年イタリア製作



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マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶

2013.12.15 Sunday

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