クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録
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2008.05.24 Saturday
Gacktも好きだが、私はけっこう両津勘吉巡査部長のファンでもある。ご存知、秋本治さんによる連載漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公の両さんである。なかでも「こち亀千両箱」に収録されている「あばけ煙突が消えた日」は、文字通り我家の千両箱入り。下町にある4本の工場の煙突が、見る位置によって、3本、或いは2本、1本に見える現象を両さんキャラで抒情的に漫画化するあたり、秋本さんの職人芸に感嘆させられるのだが、その当時評判だったらしいおばけ煙突を「理論によって完全に説明できる現象に詩的感興を覚えるのはばかげている」と一笑に付すのが、東大の医学生である主人公・小暮悠太の友人である。こんなインテリジェンスな会話が、日常会話として成立する悠太をめぐる知識階級の家族が、敗戦後胎動する「昭和」の歴史とともにたどった運命の行方やいかに。。。
本書の冒頭は、その悠太の母の過去の回想とその割烹着と電気パーマの暮らしぶりの主婦らしい文章からはじまる。昭和27年。戦争の傷跡はまだ生々しく、一方、西大久保にある小暮家の周辺は、空襲で焼けた民家が立ち退いた後、次々と米兵相手の性欲を満たすためのいかがわしい歓楽街へと変貌していった。悠太は、競争率100倍の難関をくぐって陸軍幼年学校に入学するも、夏の8月15日に少年の内面の中の”世界”はあえなく崩壊したのだった。そして、彼は今、医学生として亀有にある引揚者寮でセツルメントに関わっていた。セツルメントのハウスには、さまざまな階層の人々が群れる。妻子がいながら過労で倒れる寸前の赤ひげのような医師や彼を支えて泊り込みで働く看護婦、貧しい医療を支援する医学生たちやぼろぼろになるまで働く労働者たち、そしてそれをつぶそうとする政派や雇われている右翼団体まで跋扈している。まさに時代は、敗戦から”血のメーデー”を迎える政治の嵐が吹き荒れていた。
政治家の叔父やそれぞれに熱中する分野を見つけた東大生のふたりの弟、ヴァイオリニストになるために渡欧している妹の央子、初恋の美貌のピアニストの千束や性的関係を結んだ老いた資産家に嫁いだ桜子など、いずれも個性的な人物が往来していく。彼をとりまく人々は、誰もが大きなうねりのような昭和の日本社会の奔流にまきこまれて懸命に生きている。巷では、精神科医でもある著者の自伝的色彩を反映しているとも言われる大河小説である。
私がこの本に着手した動機をさぐると、きっかけは光市事件での死刑判決や、先日観たテレビ番組で紹介されていた小津安二郎の映画あたりだろうと推測される。そして最近、今読みたいと思える日本の小説があまりなく、時代に逆行して読み応えのある重い小説ということで、加賀乙彦さんの男らしいが可愛らしさもあるお顔がうかんだのである。この意識下の選択は、正しかった。
現代の少子化、核家族、洗練されたふるまいや言葉遣いに比較して、複雑にいりくんだ家系や隠微な秘密すら感じさせられる血縁関係、労働者や主婦の発想やものの言い方に最初はとまどうのだが、次第にそれが本書の醍醐味になっていって気が付いたら”はまっていく”。昼メロを楽しみにする主婦の気持ちもちょっぴりわかる。「雲の都」シリーズの前半にもあたる「永遠の都」シリーズ(全7巻!)も読んでおけばよかったと後悔。
映画『太陽の雫』や『輝ける青春』での学習効果もあるのだろうか、読んでいてその時代の空気、雰囲気、悠太に恋をする菜々子の走る足から伝わる土の感触、その菜々子にほれていて彼女を救うために逮捕された貧しい浦沢明夫の簡素な室内の佇まいが、まるで映画を観ているように見えてくる不思議な感覚がある。桜子と悠太がひそかにヨットに乗って、千束の屋敷を望遠鏡でさぐる場面は、さながら「太陽の季節」のようなまぶしい雰囲気もあり、メーデーで菜々子が負傷する重要な部分は、暗くて知的なヨーロッパ映画のようでもある。
印象に残るのは、小暮悠太やその学友たちとあまりにも諸々格差のある最下層の労働者たちが、同じ視線で真剣にぶつかりあうことだ。ことに菜々子という不幸な少女をめぐり、彼女に熱烈な恋をして悠太へのコンプレックスを隠さない明夫や、菜々子に性的な衝動を時々感じてしまう悠太は、友人にもなり、男として対立しもしていく。私の学生時代も今でも、「ボランティア」というきれいな関係で、社会の比較的恵まれている若者と底辺をはうように生きてきた人々の接点はある。しかし、本書で描かれている人物像は、誰もが生々しく本音で本気でぶつかりあっていて、所謂”いい人”とは無縁である。人間関係の希薄化が叫ばれる今日を、本書を読めば誰もが実感するだろう。
吉田首相が東大の南原繁総長を「曲学阿世の徒」と痛烈に批判したエピソードの盛り込まれ、つくづく昭和は「政治の時代」だったと感じる。
21世紀の「経済の時代」に生きる者として、その後の悠太とともに昭和をたどりたい。
「スターリン著者集」をゲルピンであきらめる悠太に、おばけ煙突の現象を一笑にふした友人は買うことを「わずかな金で思想の宝庫が手に入る」とすすめているし。
「この世は分厚いタペストリー。表側には胸躍る喜劇が描かれているが、裏側には、同じ図柄が血塗られた悲劇として表現されている。戦争がそうだ。愛国や名誉や勇気の裏側は虐殺と裏切りと冷酷だ。」
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工場を、
先日、こち亀の160巻を購入し読んだところこちら葛飾区亀有公園前派出所(160)工場鑑賞家(ファクトリーウォッチャー)について書かれていました。工場萌え製鉄工場化学プラント工場石油コンビナートの蒸留塔などなど・・・。その大きさや配管や錆具合に至るまで熱
(雑学的ブログ 2008/06/14 7:54 PM)
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