クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録
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2008.04.29 Tuesday
有閑マダムさまが、日本人は、敬虔なクリスチャンという言葉に弱いとおっしゃっていたが、まさに不埒で不信心な私は、敬虔なクリスチャンと聞いただでけで、まぶしい目で見ちゃったりなんかする。しかし先日『尼僧物語』を観て、勿論それだけでもないが、宗教の善し悪しなども考えたりもする。教会が絶対の権力をもつ存在であることの弊害、そして信仰の道を極めるという選択をした信心深い神父・修道女たちによる虐待と非人道的な”善行”を暴いた映画が、実話に基づいた映画『マグダレンの祈り』である。
1964年のアイルランドの寒村。結婚式にわきたつ村人たち。マーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)は、従兄弟に声をかけられ別室に行くとそこで強姦されてしまう。泣きながら友人に相談をすると、またたくまにその話が父親や神父たちに知れ渡る。少女のマーガレットは、なんの落ち度もない性的な暴力を受けた被害者である。しかし、祝宴のさなかに、おとなたちの彼女を見る目。そこに宿っているのは、蔑みと嫌悪だった。
翌日の早朝、1台の車がやってきて、マーガレットは行き先もわからず連れ去られた。窓から何も知らない弟が不安気にその様子をのぞくが、両親は何も応えず冷たい。
彼女が収容されたのは、ダブリン郊外にあるマグダレン修道院。未婚の母となったローズ(ドロシー・ダフィ)や、一目をひく容姿が堕落を招くという理由だけで連れて来られたバーナデット(ノーラ=ジェーン・ヌーン)とともに、ここでマグダラのマリアのように自らの罪を悔悛するための生活を送るように、修道女のシスター・ブリジットに言い渡されるのだったが。。。
未婚の母になることが罪なのか。男性の性的な興味をひいてしまう生まれついての美貌が罪なのか。アイルランドは厳格なカトリックの国であり、婚前交渉、堕胎、避妊すら比較的最近まで認められなかった国である。1995年、国民投票で離婚がかろうじて合法的になったこと事態、日本人としては驚きすら覚える。
本来人を救うべき宗教がもたらしたこのような歴史的な事実こそ、罪そのものであると言ったら過言だろうか。
彼女たちは、単に体を覆うための目的の茶色の囚人服よりも劣る服を着せられ、肉体の穢れを洗う目的もかね、一日中過酷な洗濯をさせられる。私語がいっさい禁止なのは、『尼僧物語』と同様。違うのは、与えられたルールを破ったら、待っているのが修道女たちによる体罰である。いや、むしろ体罰というよりも”虐待”である。家族や友人とも会うことすら叶わない。脱走した娘を殴り、修道院に再び連れ戻す父親に言わせれば、娘は「一族の恥」だからだ。洗濯場で全裸で並ばせられ、肉体的な特徴を嘲笑し、尊厳を踏みにじる修道女たちを前に、抗議することも泣くことすらも忘れた彼女たち。映画を観ながら、刑務所よりも地獄だとつくづく感じる。映画の中では、慈悲深く賢いローズのような未婚の母もいるが、こうした立場になる女性たちの中には、実は軽度の知的障害があり、またカトリックの性教育の禁止の教えからも性行為の意味すらわからないまま妊娠してしまった女性も多いということがわかる。3人の少女たちに深く関わることになるクリスピーナや、老いて死ぬまで終生修道院の中で過ごした女性もそうである。彼女たちは、権力のある修道女によって、すりこまれた命令に服従し、淫らな罪深い女であるという言いつけを忠実に守る人格のない単なる奴隷に過ぎない。
しかし、監督自身もカトリックの信者であり、ローズ役を演じたドロシー・ダフィも敬虔なカトリック信者であることから、宗教そのものを批判するのではなく、信仰によってゆがめられた人間の罪を告発するものである。劇中、映画の上映会が催されるが、雛人形のような顔立ちをしたシスター・ブリジットが、『聖メリーの鐘』のイングリッド・バーグマン役の修道女に自身を重ねて感動の涙を流す場面は、閉塞した社会で絶対の権力をふるううちにゆがんでいく心と唯我独尊に陥る滑稽さを描いている。彼女の執務室の机の上には、米国のケネディ大統領の写真が飾ってあるのだが、収容されている女性たちの労働から搾取したお金を貯めるのが唯一の生きがい。
そしてそんな権力の頂点にたつシスターも、所詮複雑で男性が支配する”教会”の別宅の模範生でしかならない。
女性の立場で鑑賞すると、主人公たちだけでなく、修道女を演じた女優たちも、精神的につらい映画ではなかったのではないかと想像される。そんな彼女達の熱演に報いたのが、2002年のヴェネチア映画祭金獅子賞受賞であろう。
19世紀に、元々食べるために娼婦に身を落とした女性の更正施設だったマグダレン修道院は、1940年代頃になると家族に捨てられた未婚の母、ふしだらと疑いをかけられただけの少女たちを収容して”更正”という目的の虐待する施設となり、ようやく最後に閉鎖されたのは、1996年のことだった。
監督 :ピーター・ミュラン
2002年:イギリス・アイルランド制作
■ドキュメンタリー
『Sex in a Cold Climate』
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映画* マグダレンの祈り
このような映画を観ると、女性として
この時代の、こういう国に生まれ育ち、暮らすことが出来てほんとうにありがたい!
と感じるし、そうでない時代や場所で生きる女性達の苦しみに、やりきれなくなります。
世の中、完全に男女平等ではない、とは思います。
日本で
(有閑マダムは何を観ているのか? in California 2009/01/16 1:32 PM)
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思い出させていただき、更に樹衣子さんの記事を読んで改めて「観たい」という気持ちが再燃しています。
ありがとうございました!
私達からすると、このような女性に対する不当で一方的な処遇の仕方には憤りと哀しさを感じますよね。 今でもイスラム圏の女性などは同じような立場で生きている場合もあるけれど、何もイスラムに限ったことではないですものね。
他の宗教でも少しさかのぼったり、原理主義的になると虐待、横暴、理不尽としか思えないことがいろいろある。 宗教は、扱い方によってとても危険なところがありますね。