千の天使がバスケットボールする

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2013.12.15 Sunday

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2008.03.23 Sunday

『尼僧物語』

尼僧今年は、オードリー・ヘップバーンが亡くなった15年になるという。最近、女性向け月刊誌で彼女の後半生を紹介している記事を読んだのだが、39歳で貴族出身のハンサムな精神科医との二度目の結婚相手と腕を組んでいる姿、その結婚も破れて最後のパートナーに寄り添っている姿、そのどれもが女優というよりも老婆のように痛々しく見えるのは、私が永遠に清楚で可愛い王女役を期待しているからだろう。。彼女は映画女優としての成功よりも、こどものいる家庭を何よりも望んだでいた。
そんなこどものために華やかな世界に背を向けて家庭にこもていたのに、1988年ユニセフの親善大使に任命されるや、今度は世界のこどもたちのために、世界中を旅するようになった。彼女の任務は、ユニセフの支援する予防接種と飲料水のプログラムを推進すること。その旅は、病をおして最後に訪れたソマニアまで、4年間で128カ国までに及んだ。
映画『尼僧物語』は、後のオードリーの活動に影響も与えたのではないかと思われる『ローマの休日』に並ぶ最も彼女らしい映画である。

ベルギーに住む高名な医師の娘であるガブリエル(オードリー・ヘップバーン)は、家族や恋人とも別れ、尼僧になるための固い決意のもと志願者として修道院に入る。そこで待っていたのは、厳しい戒律。それに堪えられず脱落していく志願者もいる中、ガブリエルは断髪し、恋人から贈られたペンも含めてすべての物、自分の名前すら捨てて、唯一キリストと結婚した正式な尼僧、シスター・ルークとなった。優秀な成績を修めていたにも関わらず修道院に入る前から希望していたコンゴへの派遣は叶えられず、ベルギー郊外の精神病院に派遣されるが、ここで”尼僧として”多くのことを学んだルークは、ついに念願のコンゴに派遣された。
ここで出会ったのが、無神論者の外科医フォルテュナティ博士(ピーター・フィンチ)だった。豪放磊落な性格ながら外科医としての腕は優秀。しかも、激務をこなす彼についていける彼女とのふたり間には、お互いに信頼関係が結ばれていく。医師の信頼をえ、現地人に愛されるシスター・ルーク。
しかし、手術の最中にも、懺悔の時間がきたら手をやすめ、自己を徹底的に抑制して患者にも感情を表現してはいけなかった。
そんな彼女にフォルテュナティ医師は「君はどんなに努力しても尼僧になりきれる人ではない。なによりも自分の意思で考える人間らしさがあるからだ。だからみんなに愛されるが、修道院が期待している理想の尼僧とは違う」と忠告する。神に身を捧げ戒律を守ることと、ひとりの人間としての内面の矛盾と葛藤に苦しむシスター・ルークだったのだが。。。

日本人としては、信者であることと修道院に入って尼僧になることは、同じ信仰でありながらその生活と神へのあり方に随分違いがあると誰もが率直に感じるのではないだろうか。映画を観ているうちに、厳しい戒律にも理論的な説明がされた意味があり、私には理解できたのだが、そもそもガブリエルは、強い信仰心のためにというよりも、コンゴで奉仕することへの目的のための手段として修道院に入った。元々自ら考えてコンゴ入りを決断したキャラクターと”私”を捨てて”無”になることに矛盾はあった。この映画は宗教もテーマとしているが、むしろひとりの女性が人間らしく生きることの意味を取り戻す成長物語である。また外国の映画としては、尼僧になるため厳しい戒律を一生懸命守る主人公の姿を追っているため、非常にストイックな映画に仕上がっている。ほのかに芽生えていると思われる医師との感情も、ここでは思わせぶりな演出さえ排除されている。観客は、黒い僧衣からわずかに開かれたオードリーの豊かで大きな瞳と時々現われる感情のさざなみの表情から、主人公の内面をさぐるしかない。知的で常に努力を怠らず禁欲的で自己を抑制、犠牲にしてまで仕事に尽くす尼僧役は、彼女にこそふさわしい。
唯一、制作から50年近い歳月を経て観ると、アフリカの一部がベルギーへのご褒美となった歴史的な経緯にも原因がある紛争を考えると、先進国である欧州人の発展途上国への施しと、異なる文化への理解よりも自分達の信仰の布教、「エコノミック・ヒットマン」の著者であるジョン・パーキンスの言い方にならえば、野蛮人にキリスト教信者になる機会を与えてやっているのだというコンゴの人々への驕りを感じる面もなきにしもあらず。が、それよりも、ガブリエルの決断した静かなラストシーンに誰もが胸をうたれるだろうことを考えると、本作品は名作である。
先日読んだ「数学者の無神論」で、信者であろうと無神論者であろうと宗教に関わらざるをえない欧米という国を考えたきっかけにもなった時に、この映画を偶然観たことで、深く鑑賞できたように思える。

オードリー・ヘップバーン自身も、栄養失調状態だったこども時代に、ユニセフの前身であるUNRRAによる食料や医療物資の援助を受けた。映画出演によって多くのものをえた彼女は、後半生をそれを世界に還元する生き方を選択した。
最後に訪問したソマリアで、彼女はこう語っている。

「私は私たち自身への怒りでいっぱいです。連帯の罪というものを私は信じていませんが、連帯責任は信じています」

最後にわずかな荷物が入ったスーツケースをさげて歩いていくガブリエルの後姿は、オードリーそのものだろう。

監督:フレッド・ジンネマン
制作:1960年

JUGEMテーマ:映画



2013.12.15 Sunday

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