千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
旧館の「千の天使がバスケットボールする」http://blog.goo.ne.jp/konstanze/

<< August 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

<< 「天使の記憶」ナンシー・ヒューストン著 | TOP | 大学にスタバは必要か 筑波大でHOTな論争 >>

2013.12.15 Sunday

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


| - | - | -
2008.03.20 Thursday

「数学者の無神論」J・A・パウロス著

かみ本書の副題は、「神は本当にいるのか」
・・・・
いませーーーっん!!
西銀座チャンスセンターにどこからわいたのか善良なる老若男女の行列。なんと大安の日は、宝籤を購入するには1時間待ちも覚悟!?以前、週刊『エコノミスト』の「敢闘言」で、ジャーナリストの日垣隆氏は、宝籤の当たる確率を示して(0.00000・・・)、射幸心をあおる広告を垂れ流しして年末ジャンボに走る市民を、飢えた猛獣の生き餌と怒っていた。いくら確率論を言っても、当たりやすい場所を信じて宝籤を買う人には無駄。それどころか、理屈っぽい人と非難をあびてしまう。信仰心は尊いと私だって感じる。縁起をかつぐのも良し。けれども、訳者も憂えているように、最近の風潮として(マルキストが後退しているせいもあるのだろうか)、非科学的なことを信じない者、科学で説明できないことを神秘的な夢と勘違いするのはけっこうだが、それに同調できない者を”夢のないかわいそうな人”と哀れんだり、場合によっては、KYな人と有害な要注意人物扱いされるのは、納得がいかない。おかしくないかっ。

そんな無神論者、もしくは不可知論者にとって待望の本書が「数学者の無神論」である。著者は、なんたって、ダーウィンが悪魔扱いされる米国の数学者である。本当にセツジツなのである。著者は、神がいないことを四つの古典的論証、主観的論法、数理論論証で見事に証明、論破している。向かうところ、敵(神)なしである。
一番わかりやすいスタディが、めぐりあわせ論法である。
2001年9月11日、この歴史に残る悲劇的な事件は、民族、文化、政治、経済、宗教と複雑にからみあった事件であると誰もが思うだろう。
9月11日は、1年の254日め(残っている日にちは111日)。2+5+4=11、911の和も11、767×91×11=767,767。(乗っ取られた飛行機がボーイング767だった。)任意の3桁の数字に91と更に11を掛けると解は、元の数字を2回繰り返す性質がある。世界貿易センターのビル2棟は、「11」に見え、衝突した最初の飛行機は11便。ついでに、翌年のニューヨーク州の宝籤の当りくじは、911だった。この偶然がもたらした符合に何らかの意味があるのだろうか。あるわけがない。全知万能の神の意図が隠されているのだろうか。ないでしょ・・。17世紀フランシス・ベーコンは「人間の理解力は、ひとつの見解を採用すると、それを支持してそれに合致するすべてを引き寄せる」と示している。

少々うっとうしさすら感じられる無神論者による本気モードの「神はいない」理論には、米国における諸々の状況への危機感がにじみでる。
著者の住むフィラデルフィアでは、科学の大進歩の記事よりも単純な奇蹟物語の方が、不幸な有名人並に人気が高く扱いも大きい。社会学者ペニー・エッジェル氏の調査によると無神論者は、米国の道徳の範囲からフェードアウトした人種になるらしい。文化的エリート主義者、非道徳物質主義者、共通の善には関心のない犯罪的行為や薬物中毒に走りやすい人たち。アーカンソー州憲法19条では、「神の存在を否定する者は、何人も本州の官公署の職に就くことはできず、法廷で証人として証言することを認められない」とされている。ドフトエスキーは、「神が存在しないなら、何でもできてしまう」と警告しているが、神さまという飴と鞭がない民は、暴徒となって犯罪に走りやすいのか?犯罪発生率の研究によると、米国の刑務所の住人は、宗教を信じていない人が信じている人に比較してつりあわないくらい低かった。
心理学者の過剰正当化効果に関する実験では、最初に与えられた数学ゲームに熱中したこどもたちが、次にゲームに参加した報償として賞品を出されてもゲームに使う時間が短くなり、賞品がなくなるとゲームにへの関心がなくなった。ゲームが飽きやすいものなのか不明であるが、これは、外から与えられる報償が、子どもたちに内在する関心を摘み取ってしまうことを説明している古典的な実験である。つまり、宗教的な命令や「良い子」でいるご褒美がなくなると、こどもは「良い子」でいるゲームの時間が短くなる。

しかし、著者が言いたいのは、神が存在するか否かの論議ではない。美しく複雑な宇宙や自然、生命現象に対する「神」の創造とする理論に警告を鳴らしたいのである。啓蒙の時代から、非信徒、懐疑的な人、不可知論者、無宗教者はたくさんいた。ユーモアに欠ける人々の無知で尊大な信仰に迫害されても。世の中にはいろいろな育ち方をしてきた人がいる。またこどもは、親とは異なる発想や考え方もしていく。それなのに、近頃職場ですら「大安」や「仏滅」などを大事にする人の方が人格的に上とする暗雲が・・・。他者を思いやる行為は、ひとぞれぞれ。賢者は、こんなことをいちいち気にしたり、あえて非科学的なことを証明せずに沈黙するのだが。。。訳者の究極のひと言に、積年のうさがすっきり晴れたのだった


「自分と同じ夢を見ない人は、夢を見ないのではなく、違う夢を見ているのかもしれないのだと理解するのも、論理の基本」

みなさま、論理の基本はお忘れずにね。


*米国で宗教を選択しない人は、2500万人。
近年、非宗教的な人々による啓蒙活動の一貫として、無宗教主義者を「Bright」とからとって「ブライツ」と呼ぶ運動がある。著者は、この呼び方を嫌っている。私もしごく同感なのだが、ちょっと使ってみることにした。

JUGEMテーマ:読書



2013.12.15 Sunday

スポンサーサイト


12:34 | - | - | -

コメント

ほんと、そうです。
アメリカに暮らしていると、特に宗教を信じていないとは声を大にして言えません。 一応「仏教徒」だと返事をすることにしていましたが、積極的に宗教に関わっていない者としてはどこか居心地の悪さ、後ろめたさを感じるのですよ。 子供たちに宗教教育をしていないというのも、「なんて親だ!!」って思われる。 
その点、つかのま宗教的プレッシャーから開放されて、アジアでは気が楽でした〜。
この夏にまたアメリカに戻るときには、今までとは違う州なのでちょっとはそのあたりの事情も違うのでは?と期待もしています。
2008/03/21 10:08 AM by 有閑マダム
>有閑マダムさまへ

この文章を書きながら、もしかしたら有閑マダムさまはご不快に感じられるのでは・・・とちょっと心配していたのです。

>宗教教育をしていないというのも、「なんて親だ!!」って思われる

そういう土壌で生活されているので、逆にご夫婦で宗教教育は当然だとお考えになられているのでは・・・とね。
偶然ですが、昨夜オードリー・ヘップバーン主演の『尼僧物語』を観ました。信仰することと尼僧になることでは随分違いますが、深く観ることができグッド・タイミングでしたね。

>この夏にまたアメリカに戻るときには

なんだかかんだと言っても、アメリカには魅了されます。なんでだろう?
だから有閑マダムさまの現地情報をとっても楽しみにしているのです。
2008/03/21 10:12 PM by 樹衣子

コメントする









この記事のトラックバックURL

http://konstanze466.jugem.jp/trackback/198

トラックバック

▲top