千の天使がバスケットボールする

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2013.12.15 Sunday

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2008.03.14 Friday

「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ著

イシグロアン・リー監督の映画『ラスト、コーション』の観どころは、ノラネコさまの使用された単語を拝借すると「春画のような体位」ばかりではない。
舞台となった1940年前後の上海の街のようすが、忠実にリアルに、しかも美しく描かれている点にもある。男女の性愛を観客の関心を最後まで維持してグロテスクに、そして美しく描くには、綺麗な裸体の背景と小道具への美意識なしでは成立しない。

「わたしたちが孤児だったころ」の舞台も映画と同じ時代の上海。主役は、英国人の名探偵クリストファー・バンクスだけれど。
さかのぼること、およそ30年ほど前の1900年代初め、上海の租界地に住むクリストファーは、貿易会社に勤務する父と、美しく強い倫理観をもつ母と暮らしていた。友人は、隣に住む日本人のアキラ。ふたりは、男らしさを競い、毎日探偵ごっこに熱中する。しかし、平和な生活は長くは続かなかった。
世界大戦の足音、そして父、次に母までが謎の失踪を遂げ、事件が未解決なまま彼は母国の英国に戻された。
やがて名門大学を卒業して、探偵としての名声も勝ち取り、ロンドンの社交界にも歓迎されるのだが、もうひとつの祖国、上海で両親を探す決意をして再びかの地を踏むことになったのだが。。。

イシグロ・カズオ氏の初体験の「わたしを離さないで」、そして先日読んだばかりの「日の名残り」。3作に共通するのが、主人公の一人称という形式を遣っている点である。そして、自身の記憶をたどる旅という構成。
「わたしを離さないで」と「日の名残り」では一人称という形式を使用することで、読者自身の感性をある種の”物語”の作り手の感情のひだにしみわたらせ、それによって生きること、人生の重みへの共感に成功した。本書での一人称の「わたし」は、わたしという視点の曖昧さ、不確かさを演出して、奇妙で独特なイシグロ・ワールドを演出している。ハヤカワ・ミステリーから出版されているが、探偵小説という形式ではなく、やはり純文学の範疇に入る。そしてなによりも、バンクスのこども時代の回想の完成された文章の応酬に、読んでいて作家の真骨頂をたっぷりと味わえるのが醍醐味。ここで、こどもらしい幻想的なホラーものへの興味のエピソードを披露させて上海の街の入り組んだ生活のリアルな印象を与えながら、逆におとなの世界をバンクスに語らせる理性的で写実主義のような描写に、読者は次第に輪郭が曖昧となり、アヘンの煙にゆれる幻想の街へと迷いこんでいく。
バンクスの奮闘ぶりに孤児となった喪失感を味わいながら、ゆるやかに混沌としたシュールな世界に放り込まれてしまった。

そしていかにも正確に忠実に再現していく記憶が、重要な物語の要である。著者によると
「人間は、記憶というこの奇妙なレンズ、フィルターを持っていて、成功した人間も失敗した人間も、過去を見るときにこのレンズを使ってイメージを操作し、過去を変える」ことになる。人間は、嘘の記憶をつくりあげることができる。「奪われた記憶」に紹介されていたある心理実験では、実際見ていないUFOを観たと主張する人は、ほんのわずかな印象の記憶から過去の体験をつくりあげ、あたかも本当に経験したかのような生理的な反応を示すことが証明されている。確かに経験したと自分では信じている記憶の曖昧さ、思い出を反芻するうちに幻想的な世界に変容していく不確かさ、そこからくる人生の喪失感。これを味わったことのない人は、本物のおとなになっていないと私は思うのだが。
バンクスの両親失踪の意外な顛末からくる滑稽さと、そして悲しみが、いやがうえでも記憶の儚さと脆さを感じさせる。その点でも、本書のタイトルにある孤児だった”わたしたち”とは、誰もが進行している現実からすべり落ちていく孤児と同じような存在だと言えよう。
本書は、発売と同時に英国でベストセラーになっている。
ちなみに、本の表紙にある写真の当時の街は、今もあまりかわらず銀行街として残り、この地を訪れる旅行者をノスタルジックな気持ちにさせてくれる。

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2013.12.15 Sunday

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コメント

樹衣子さん、こんばんは。
カズオ・イシグロも「記憶」にこだわる作家でしたね。
一人の人間の記憶の中には、自分でも気付かないような迷宮があるのかもしれませんね…。
2008/03/16 10:20 PM by つな
>つなさんへ

記憶、脳って、ずっと私の不思議なテーマです。
ところで、つなさんはこの本におけるイシグロ・カズオ氏の意図ってわかりましたか。
私は、いまいち作家のたくらみが読めませんでした。さすがに、文章は巧みだと感心させられましたが。

さて、『潜水服は蝶の夢を見る』の件ですが、予告編で観た時に、主人公の視点にカメラの視点をあわさせているため、画像がゆれて酔ってしまいそうな印象を受けました。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のドキュメンタリー・タッチの映像も、途中で断念しました。ブランコも苦手なもんで。

スパム・メールやTBは、本当に迷惑ですよね!
私の文章の中の”関係”がねぇ、、、←コンピューターにとっては、えっちぽさが漂っているわけですか。。。
2008/03/17 11:29 PM by 樹衣子
樹衣子さん、こんばんは!
最近、ブログ周りがごたごたしてたので、このお話もう少し続けたかったのに、コメントするのが遅くなってしまいました。

そうですねえ、たくらみ、たくらみ…。
うーん、カズオ・イシグロといえば、「信頼できない語り手」。
分かりやすいクリストファーの主観と客観とのずれしか、私にはわかってないのかも。
でも、この揺らぎに酔えるというだけでも、私には面白い経験でした。
あとは、もしかすると、探偵になったというあたりから既に、クリストファーの妄想だったりして、と考えて、ちょっと怖くもなりました。笑

『潜水服〜』は、おお、酔ってしまわれるのですね。
大画面で見ると、そういう映像は辛いですよね。
樹衣子さんがブランコも苦手とは少々意外です。笑
私もジェットコースターに乗れない人間なのですが、樹衣子さんは如何ですか?

掲示板の件はすみません。
ときどき、自分も弾かれます…。
あのえげつない書き込みがどうにかなればよいのですが。
2008/03/26 11:17 PM by つな
>つなさんへ

引越し作業中のお忙しい中、コメントをありがとうございます。
気にかけてくださり、ありがたいと思いつつ、かえってご迷惑をおかけしました。

>もしかすると、探偵になったというあたりから既に、クリストファーの妄想だったりして

私もちらりとそれを考えたのです。
結局、最後まで女性関係もなかったですよね。養女とのつながりも不思議な感じです。肉体の関係性の希薄な、頭脳と妄想で生きているような主人公という印象です。両親が失踪した後に、事故でずっと寝たきり、それこそ『潜水服〜』のような状態でつくりあげた世界。

>ちょっと怖くもなりました。笑

この度のあっていないゴーグルで眺めているようなぬぐいがたい奇妙な違和感、それが作家のねらいかも・・・。

ジェットコースターですか、無理っ!!
寿命が縮まるし、美容に悪いので乗りませーーーん。

私の方こそ、最近、また変なTBがつきはじめて、ブログの品格を疑われちゃいますよっ。
2008/03/27 11:24 PM by 樹衣子

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「わたしたちが孤児だったころ」/揺らぐ世界の中で・・・・
? カズオ イシグロ, Kazuo Ishiguro, 入江 真佐子 「わたしたちが孤児だったころ ?」 「わたしを離さないで 」のカズオ・イシグロ熱が冷めやらないまま、読んでみました、こちらの一冊。上海の租界で育ったイギリス人、ロンドンの社交界、私立探偵・・・と、
(日常&読んだ本log 2008/03/16 10:12 PM)
カズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を読んだ!
カズオ・イシグロの長編第5作目の「わたしたちが孤児だったころ」を読みました。2001年4月に早川書房から単行本として刊行されたものを、2006年3月に文庫化したもの、僕が読んだのは2009年6月発行の3刷です。今まで僕が読んだカズオ・イシグロの作品は、「関連記事」に
(とんとん・にっき 2011/06/05 10:25 AM)

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