千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
旧館の「千の天使がバスケットボールする」http://blog.goo.ne.jp/konstanze/

<< August 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

<< 編集者と作家 | TOP | 『サンキュー・スモーキング』 >>

2013.12.15 Sunday

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


| - | - | -
2008.02.21 Thursday

「女の生き方 樋口恵子さん」

読売新聞に連載されている「時代の証言者」がおもしろい!サブタイトルの”女の生き方”の証言者が、評論家の樋口恵子さんだからでもある。
日経新聞の「私の履歴書」とはひと味違って、毎回、証言者の生きかたに日本の時代の変遷を感じさせられるのだが、樋口さんは女性の地位向上、男女差別撤廃のために闘ってきた戦士でもある。驚いたのが、女性差別の歴史である。

1932年に東京に生まれた樋口さんは、1956年に東京大学を卒業する。その後、東京大学新聞研究所本科修了をして新聞部で活躍したのだが、女性というだけで就職口がまずない。当時の新聞社では、毎年女性を採用するとは限らず、数年に一度、10年採用なし、という新聞社もあった。かろうじて、時事通信社に就職できたのだが、同期の新人男性たちが次々と配属が決まるのに、彼女には声がかからない。しかも、なんたる暴言だろうか、男性社員たちは、30歳ぐらいのベテラン女性社員のことを「じじぃ通信社なのに、ばばあがいる」とのたまっていたそうだ。(私も「時事通信社」のことを、おじいちゃん部長の前では「じじぃ通信社」と呼んでいたのだが・・・。)昼はろくにシゴトも与えられないのに、夜はおじさまたちからの宴会のお誘いの声がかかり、はっきり本人曰く”もてた”と。しかし、それも数年のうちと悟った彼女は、さっさと東大出の樋口氏とお見合いして、そのご本人とは対象的にスマートでハンサムな容姿に惚れて、押しの一手でめでたく壽退職。
樋口長女出産の後、専業主婦、社宅住まいを経験してのんびりとした井戸端会議にも参加していたのだが、本格的な会議・シゴトをはじめたく自分の両親と一緒に住んで育児の手助けをえて、学習研究社の入社試験を受けた。ところが、最終面接でよい感触を受けたのにも関わらず、うっかり「娘がいる」ということをもらしたら、役員たちが顔色をかえて社内規定で「妊娠したら退職」と決まっているからと言われて、採用を断られたのだった。ここで、樋口さんは怒った。もっともであるが、育児雑誌の編集に、とうの母親記者をしめだしているのはなんたることか、と。この説得がきいたのか、すでに出産しているから妊娠をクリアしていると判断されたのか、無事採用される。そして夫もキャノンに転職し、仕事と家庭と公私ともに充実していたところ、夫が急死して若くして不幸にも未亡人になってしまった。この時の体験で、夫を失ったことがあまりにもつらく、何週間も寝込んでしまい起きあがることができなかったそうだ。
やがて日本的な企業らしく亡くなった夫が勤務していたキャノンから声がかかり、二足のわらじをはきながら子育てをして、1971年にフリーの評論家になった。
72年、国連総会で75年を「国際婦人年」とする決議がされた。メキシコ市で世界会議が開催され、世界行動計画を採択して、翌76年から85年までが「国際婦人の10年」となったことをきっかけに、市川房枝さんらの後押しもあり「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」が発足される。その活動のひとつとして、80年、女性教師にマラソン指導を受けた児童の作文が教科書に採用されたのだが、教師の性別を男性に改変されたことへの教科書会社への抗議だった。「マラソンは伝統的に男性の競技」という説明は、女性たちには通用しない。結局、会社側がおれて原文に戻された。

今となっては信じられないような男女差別、セクハラが横行していた日本の社会だが、かと言って今の米国や日本で完全に性差別が解消されているわけではない。差別なのか、性差による区別・適性なのか、論議がわかれるが、女性が社会で本当の意味で認められ好かれるには、仕事も仕事オンリーに集中できる男性と同等レベルまでこなして、尚且つ女性の美しさを忘れずに、子育てもしていて(未婚、こどもなしではなく)、という姿ではないだろうか。

職場の上司など、女性社員を○○ちゃんと呼んだだけで「セクハラあり」と部長に報告されていたりと気の毒にサンドバック状態なのだが、樋口さんの時代の証言も後半戦に入り、この時代錯誤のエピソードもそんなに昔というわけではない。


2013.12.15 Sunday

スポンサーサイト


23:31 | - | - | -

コメント

樹衣子さん、はじめまして。
つなさんのところから来させていただきました。コメントする勇気がなく、いつもひそかに読ませていただいておりました(笑)。

実は私もこの新聞記事を読んで、日本の女性差別の歴史の一端を知り驚いておりました。樹衣子さんがこうして記事にしてくださっているのを読み、思わず共感してコメントさせていただいた次第です。

自分ができることは何なのかということを考え、わずかながらでも実践していきたいと思います。男女ともに住みやすい国となるように。。。

今後ともよろしくお願いいたします。
2008/02/22 1:07 AM by ガーベラ
>ガーベラさまへ

はじめまして、素敵なお名前ですね。

日本で婦人参政権が”獲得”されたのが1945年、男女雇用機会均等法が改正されたのが86年。
めまぐるしく動く現代社会において、遠い過去のようでありながら、長い歴史の中ではそんなに昔のことではないと思います。
ご存知かも知れませんが、ヒラリーさんのこどもの頃の夢は宇宙飛行士になることで訓練生の申込みをしたところ、NASAから「女は受け入れていない」というつれない返事がきたそうです。あの方は、並の男以上にタフなのに。(笑)
雇用機会均等法の改正以前は、4年制の大卒女性を縁故採用するのにあたり2浪して短大卒扱いという整理をしていたり、今の総合職を文学部お断りで男性だけ採用し、その結果、一般事務職に法学部や経済学部の女性は入れず文学部だらけ・・・という笑える話を聞きました。

男女の間には、こどもを産む機能の有無、体力的な違いはあり、性の違いをそれぞれ理解して尊重することは大事ですが、性差を差別するのは人種差別や弱者への差別と結局同じだと思うのですね。

>男女ともに住みやすい国となるように。。。

女性にとっては、生きかたの可能性・選択肢が広がっている反面、男女ともに住みにくい日本になっているのではないか、という杞憂があります。

コメントをありがとうございました。こちらこそ、宜しくお願いします。
2008/02/23 11:59 AM by 樹衣子

コメントする









この記事のトラックバックURL

http://konstanze466.jugem.jp/trackback/183

トラックバック

加藤 秀一著 「ジェンダー入門」 朝日新聞社
本書のタイトルの上に<知らないと恥ずかしい>と書かれてある(苦笑)。先日、評論家の樋口恵子さんの女性差別と立ち向かうまでの経緯を知った(読売新聞)。それを読み自分は女性差別を知っていたけれども、体験としてわかっていなかったということに気づかされた(汗
(ガーベラ・ダイアリー 2008/03/14 8:36 PM)

▲top