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2008.02.03 Sunday
本を閉じ終えた時、私はなんとも形容しがたい静かで深い感動に包まれてしまった。私にとっての禁句の”感動”が、これほどふさわしい作品もそうそうないのだが、こんな経験こそが、私には実感できる生きている幸福のひとつでもある。
1956年7月、スティーブンスが執事として長年勤務している由緒あるお屋敷ダーリントン・ホールは、主人であったダーリントン卿亡き後、米国人の大富豪ファラディ氏によって買い取られた。ファラディ氏にとっては、英国にしか存在しない召使ではない本物の”執事”を雇うことは、本来の役割だけではなく、英国で購入した珍しい貴重な骨董品を友人たちに披露する意味あいもある。そんな新しい主人に懸命に仕える彼にもちあがったのが、主人の勧めもあってイギリス西岸のコーンウォールへの小旅行。それは、彼にとってはお屋敷のスタッフ不足を補うために、20年前に退職した有能な女中頭、ミス・ケントンを再び雇用するために、彼女を訪問する旅でもあったのだが。。。
物語は、スティーブンスがファラディ氏から借りた車で旅をしている英国の田園風景と途上で出会った人々の現在と、20〜30年前のダーリントン・ホールが最も活気に溢れ、海外の要人を招いて非公式の国際会議が開かれていた華やかな時代であり、彼自身も”執事”という仕事を完成させた頃の回想が並行して、彼自身の語りという一人称の形式ですすんでいく。美しい田園地帯の中を車のハンドルを握りながらスティーブンスの脳裏にうかぶのは「偉大なる執事」の定義、その偉大なる執事のモデルのような今は亡き父、国の運命を左右する外交会議と主催する高貴なる紳士ダーリン卿への敬慕、そして今回の旅の目的である女中頭のミス・ケントンとの思い出だった。
スティーブンスにとって、偉大な執事とは、米国やアフリカの心踊る景観が、その主張によってかえって劣ることに比較して、英国の自然のもつ慎みのある落ち着いた美しさにも通じている。単なる有能な執事と偉大な執事は違う。偉大なる執事には真の「品格」が求められるのだが、その品格とは、自らの職業的あり方を貫き、それに堪える能力のあるところに宿る。常に、自己の職務への忠実さと、従がえることによって人類に貢献したと実感できる主人のダーリントン卿への忠誠。いかなる困難な局限でも、どのような状況においても、名だたる名門のダーリントン・ホールを取り仕切る執事として、常にプロフェッショナルに厳格に完璧に行ってきた。たとえ、無知で愚かな一般市民の代表を演じることになっても。
しかし、あの日、あの時、目的地が近づくにつれ、これまで成し遂げた仕事への誇りと矜持のなかに、彼のこころには小さなできごとの数々の思い出がしめるようになっていく。その思い出の主人は、ダーリントン卿ではなくミス・ケントンだった。ドイツ大使に一時期影響されたダーリン卿によって、ユダヤ人の女中をふたり解雇することになった時、質素でなにもない彼の部屋に彼女が花をもってきた時、求婚されたことをスティーブンスに報告にきた時。どの瞬間も振り返れば、人生を決定づける重大な一瞬だったように思えてくるのだった。映画では、エマ・トンプソンが演じていた自分の意見をあかるく明確に告げるミス・ケントンは、魅力的な女性である。豊かな感性を女性らしいこまやかさで表現するミス・ケントンをおくことで、”偉大なる執事”の悲哀がうきあがってくる。それは旅行中、迷いこんだ村で著名な政治家に間違えられた誤解の滑稽さとあいまって、彼は今、人生の黄昏にたたずむ。女中頭が、執事と意見を対立させ喧嘩しながらも、彼に恋をしていることはわかる。それに応えるスティーブンスの感情は、極端なまでに抑制されている。彼は、執事だから。時代の波に襲われ、ダーリントン卿が誤った道に落ちていくことをとめるよう懇願してきたカーディナルの友人としての忠告を、彼は頑固なまでにしりぞけた。なぜならば、彼は偉大なる執事だからだ。そして、えた世界という「車輪」の中心にいた自分の仕事の集大成ともいうべき結果の行く末。その時の勝利感と高揚とひきかえに失った夢の大きさよ。
第二次世界大戦前夜、米国人政治家がダーリントン卿を上品で正直で善意に満ちた”古典的な”英国紳士だが、国際問題においてはアマチュアだと批判するが、まさにその批判が的中して、晩年、氏の高貴さをナチスによって利用されて汚されていく。ここでの内容は英国の凋落と新興国、米国の台頭をも象徴していて、作品に奥行きを与えている。また、本書のタイトルの「日の名残り」には、斜陽化していく英国、失われていく執事という職種、そして彼自身の残された人生を意味する。
自分は価値があると信じていただけだった、自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えないと老いた彼は観光名所の桟橋で残照をあびながら涙を流す。感情も自分すらも、執事の仕事に必要な「品格」に封印し、その宝物を最後まで失うことなく老い、そして今も尚その感情をおさえ、かって恋をした女性を訪ねる旅。だから、英国の夕暮れのように美しく、そのあまりにも悲しい美しさに読者は深い感動を覚える。
尊敬した父が最後まで職務をまっとうして息をひきとった部屋は、お屋敷の片隅の陰気なまるで刑務所の独房のような小さな部屋だった。そしてあたらしく従がえることになった米国人のご主人様のために、ジョークの技術を熱意をもって開発してマスターしようと決心する彼の職業は、最後の執事。
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カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ!
中央公論社から刊行されたカズオ・イシグロの「日の名残り」を読みました。原題は「The Remains of the Day」、この本、買った経緯がどうしても思い出せません。と思って、カバーをはがして裏表紙を見たら、ブックオフの105円のシールが貼ってありました。たぶん2、3年
(とんとん・にっき 2008/09/03 9:28 AM)
映画評「日の名残り」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1993年イギリス映画 監督ジェームズ・アイヴォリー
ネタバレあり
(プロフェッサー・オカピーの部屋[別館] 2009/09/22 6:33 PM)
読書メモ『日の名残り』
主人公は、ダーリントンホールの執事スティーヴンス。彼はかつての主人ダーリントン卿を失い、新たにアメリカ人の主人ファラディ氏を迎えることとなります。ファラディ氏はジョークが好きなアメリカ人だったため、スティーブンスは戸惑いました。そんなある日のこと、
(自由の森学園図書館の本棚 2010/01/22 11:01 PM)
日の名残り
(1993/ジェームズ・アイヴォリー監督/アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン、ジェームズ・フォックス、クリストファー・リーヴ、ピーター・ヴォーン、ヒュー・グラント、ミシェル・ロンズデール、レナ・ヘディ、ベン・チャップリン/134分)・お薦め度【★★
(テアトル十瑠 2012/06/11 10:43 AM)
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記事を拝読いたしますと、映画とほぼ同じ内容のようですね。
僕は色々な理由により原則的に発表から50年以上経っていない小説は読まないことにしているのですが、本作は内容も解っていますし、とりあえず日本語で読んでみたいと思います。
樹衣子さまの文章も相変わらず名調子ですね。