千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
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2013.12.15 Sunday

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2008.02.02 Saturday

『静かなる一頁』

そくこどもたちの歓声、ラヂオから流れ大衆音楽、足音のざわめき、人々の声や生活の音が静かなさざなみのように質素な建物におしよせて反響している。この大きな建物は、一見古い団地のように見えて、どうやら工場のようである。そしてカメラは、荒廃した近未来なのか、19世紀末の架空の街なのだろうか、霧のうかぶ街の中心にある建物の底に流れる運河の永遠に続くかのような水の運動と、ゆっくりと飛んでいくかもめの羽のはばたきの映像にうつっていく。

道ゆく人にお金をたかる浮浪者、嬌声をあげる娼婦、うつろな乞食、退廃的な街の様子は、去年と変わらず、昨日と同じ、そして明日も続く。今日は、唯一、金貸しの老婆が殺された事件が、人々の荒廃したこころを活気づかせているのだった。そこへ、ひとりの青年があらわれる。彼は、いかにも貧しい大学生。はおっている重いコートは、彼の人生の苦難を象徴するかのようにうつろにゆれながら沈み、霧の中をさまよっている。
水がすぐそこまで押し迫る波止場を歩いて建物の中に入ると、次々と人が飛びおりていくではないか。しかも誰もが喜んで楽しげに、水の中に飛びこんで消えていく。あの水の底には、もしかしたら現実から救われる別世界が待っているのかもしれない。しかし、人々を呑みこんだ水面は、鏡のように地上の無機質な世界を映して静かに閉ざされているばかりである。。。

ソクーロフらしいとても長く動きの少ないワン・カットが紙芝居のように続く構成は、ジェット・コースターのようなテレビ番組に慣れている感覚にはつらいかもしれない。すべてが、ゆっくりと殆ど会話もなく、監督のイメージの世界が独特の空間を展示していく。映画を作家性で選ぶとしたら、まずロシアのアレクサンドル・ソクーロフははずせない。近頃の意味を考える必要もなく、物語を深読みする時間もなく、ただただ観客の快楽をひきだすだけの映画とは、はるかに遠い位置にあるのがソクーロフ作品である。ソクーロフは、原作こそドフトエフスキーの「罪と罰」をベースにしているが、マーラーの音楽の調べにあやどられ、職人芸のような優れた観客動員数を誇る映画作品群が並ぶ中で、誰もなしえない独特の世界をつくりあげた。
このような商業ベースとは無縁なところで、あたかも自己の内面の心象風景を映画という媒体を通した「作品」づくりを可能にしている監督と、その社会を不図考えた。
上映前に、フィルムが損傷していて見苦しい点、また中断する可能性をあらかじめ断る放送があっての、渋谷ユーロスペースでの「ソクーロフと戯れる」企画の中の一作が、この「静かなる一頁」。1993年制作といえば、それほど古い映画でもないのに関わらず、劣化してしまった映像に、この監督の作品が本国では次々と上映禁止となっていた事情を思い出す。そもそも映画製作学校時代の最初の作品から、タルコフスキーの援護もむなしく政府から上映禁止処分を受けたにも関わらず、体制にすりよることもなく自分の世界にこだわった。撮った映画が、次もまた次も上映禁止。映画は公開されなければ、意味がない。演奏されない音楽と同じだ。けれども、国内でたとえ冷遇されても、思索を熟成させて才能を開花した彼は、世界に受け入れられ消費されることのない映画史に名前を刻む作品を生み出した。

また青年を演じた俳優(アレクサンドル・チェレドニク)と、特に小説の中のソーニャがぬけだしたかのような当時14歳の少女役のエリザヴェータ・コロリョーヴァ存在が、映画に深い影と奥行きを与えている。豊かな金髪をみつあみに結い、質素な服を着た少女の薄い胸と青ざめた顔が、少女の清楚さと貧困を物語っている。娼婦でありながら、聖なる処女、そんな難しいキャラクターを近未来のSFのような雰囲気すら漂うなかで、リアルな美しさがいつまでも観る者のこころに残る。
どんなにこころを清く保ち、体を売って幼い妹を守っても、その妹もいずれは同じように街にたつ、と挑発する青年に神を信じて救いを求めることを諭す少女。ついに、少女の清らかな瞳が、「神はいない」と叫ぶ青年の心を圧倒する。

上映中ずっと、お隣の方の安らかな寝息がきこえてきた。決して楽しいわけでも、息抜きになるわけでもないが、この監督の映画を観ていないと、私には人生の重要な落し物をしてしまうような気がしてくるのだ。

監督:アレクサンドル・ソクーロフ
音楽:グスタフ・マーラー「亡き子をしのぶ歌」
1993年露・独合作

■ソクーロフと戯れていたアーカイブ
人生の祭典
エルミタージュ幻想

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2013.12.15 Sunday

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