千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
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2013.12.15 Sunday

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2008.01.08 Tuesday

「暗いブティック通り」パトリック・モディアノ著

ぶ自分探しの旅、そんな旅があるようだが、女性がパリに短期留学するのといったいどこが違うのだろうか。
人がみな人生という旅の旅人だとしたら、記憶を失ってしまった主人公≪ギー・ロラン≫の自分探しの旅は、文字通り「自分探しの旅」である。

本書は、78年ゴングール賞を受賞した、モディアノ34歳の時の作品である。
主人公の≪私≫を記憶喪失症患者で、自分を探すという物語は、人間の存在が、氏名という固有名詞をもった絶対的な存在であることを否定した小説という見方もできる。訳者の平岡篤頼氏の言葉を引用すると、記憶喪失症患者とは「結局仮象に過ぎない現実への足がかりをも失った裸の人間」になる。
他者とのつながり、無数の過去の体験の記憶の糸、社会生活の痕跡、人は、実に多くの”関わり”によって、自分という表層をカタチづくってきたか、ということを考えさせられた。現在の≪私≫の唯一の友人である老いて擦り切れたオーバーをはおる探偵事務所所長、その昔は、テニスの選手で、美青年で知られたコンスタンチン・フォン・フッテ男爵自身も記憶喪失だった。この記憶をなくす、というミステリアスで甘美さすら伴う恐怖が、不思議な雰囲気をかもし出していて、あのペ・ヨンジュン主演の大ヒットした韓国ドラマ『冬のソナタ』の下地にもなっている。私たちが、漂流していく日々の暮らしで自分を見失わないのも、家族や友人、職場の人々との関わりよって生じる記憶の繋索によって、自分の位置を確認しているのかもしれない。

舞台は、65年のパリの街にある≪私≫が勤めていた探偵事務所からはじまる。記憶を喪失していたのは、さらにそれよりも10〜20年前というクラシックな道具立てを読者に想像することを求められる。ここで、それを匂いをかぐように雰囲気を官能的に感じられるか否かで、本書を楽しめるか退屈に感じるかがわかれる。
戦争があり、革命によって亡命してきたロシアの貴族、偽造されたパスポート、胡椒のきいた香水の匂い、セピア色の写真、アパートの階段にあるミニュットリー、木蔦でかこわれた蔓棚のあるホテル・カスティーユ、象牙や硬玉製の置物を載せた黒い漆塗りの小円卓、、、物語の活字を追いながら、私が主人公の≪私≫となり、一緒にセピア色の、行ったこともない、この世に存在すらしていなかった時代のパリの街を、≪私≫以前の私を求めてさながら映画の中に入りこんだような旅をしていた。よるべない不安と孤独な魂を抱きしめながら。華やかな貴族の社交があり、退廃していく憂愁もそっとしのびより、最後に≪私≫がえたのは、スタイルもよく綺麗な恋人をスイスの不法越境の時に見失った深い哀しみの追憶だけだった。
すべてが曖昧で霞の中に永遠に眠っている。深い余韻を残す小説である。

自分の名前があり、学歴も、勤務先も家族もいる私。然し、記憶は日々うすれ、ベールのむこうに遠ざかっていく。記憶という不確かな糸を精一杯握り締めて、私は自分探しの旅として、今夜もブログの更新にはげんでいるのだろうか。

JUGEMテーマ:読書



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