千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
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2013.12.15 Sunday

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2007.09.26 Wednesday

『親密すぎるうちあけ話』

ルコント時々映画で信者が教会の牧師さまに懺悔する場面があるが、自分が男性で牧師だったら、あんな狭い小部屋で女性にセクシュアルな懺悔をされたら、それこそ妄想激しく、自分自身を神に懺悔をしなければならないだろうと想像している。
「嗚呼、罪深き者よ、、、それは我だった!」
だって、お互いに顔が見えない状況で、最も秘密である個人的な性のする、聞くというシチュエーションは、どう考えてもエロティックではないだろうか。

或る日の夕暮れ、ウィリアム(ファブリス・ブキーニ)が毎日の変わらない仕事をそろそろ終えようとした頃、ひとりの女性(サンドリーヌ・ボネール)がオフィスに飛び込んできた。苦悩を浮かべる表情でその女性、アンヌが語り始めたのが、夫婦の深刻な性の悩み。驚きあっけにとられ、同じフロアーの精神科医モニエの患者が部屋を間違って、税理士の自分の部屋に来てしまったと合点するまもなく、アンヌは慌てて次の訪問の予約をして帰ってしまった。
夜、アパルトマンから眺める向かいのホテルで繰り広げられている様々な情事を眺めながら、ウィリアムの脳裏からはアンヌの姿が離れない。
再びやってきたアンヌの更なる赤裸々な告白に気おされながらも、自分は税理士だとはつい言えないウィリアム。やがて、アンヌもノックすべきドアを間違えたことに気がつくが、モニエ医師ではなく、ウィリアムに話を聞いてもらうために通い始めるのだったが。。。

魅力的な女性から誰にも言えない悩み、ましてやそれがうまくいっていない夫婦の性交渉という最もプライベートな部分を聞かされることは、パートナーとの関係を解消して独身になってしまった中年男性にとっては、ある種”誘われている”と感じるのは当然ではないだろうか。しかし、この映画では、精神科医と患者、もしくはセラピストとそのお客という設定が、安易な展開をさけて、あくまでも女性からの告白、会話がふたりの節度と緊張感をしいている。懺悔を聞く牧師のように、人の良い税理士は、彼女の”親密すぎるうちあけ話”から、彼女の肢体やらベッドでの姿態やら、そんなことを妄想するのはりっぱな紳士として恥ずべきこととして封印している。
それにも関わらず、目的はどうであれ、彼女と会える、ただそれだけでもウィリアムには喜びとなり、生活にはりを与えている。彼女に会っている時の感情をおさえている表情、一転してひとりでロック音楽にあわせて踊る姿、彼女からの電話に必死に飛びつく姿、滑稽でありながら静かに彼女への愛情を育むウィリアム。そしてさえない中年男性に心を開いていき、変化していくアンヌ。さながらロマンチック・コメディの室内劇のような本作品で、またまたパトリス・ルコント監督の魅力が新発見されたようだ。

アンヌ役のサンドリーヌ・ボネールが、最初は地味で暗い女性だったのが、次第に明るく魅力的な女性に変貌していくのが見所。少女のような雰囲気のある素敵な女優だ。そして、自分の内面をさらけだす行為とは、こころのストリップだ。ストリップするうちに、さえないコートを着込んだ服装から、軽くて甘いワンピース姿になるところも見逃せない。達者な演技者陣にも恵まれた上質なおとなのための映画である。
会話こそ、エロスの出発点。(但し、この会話とは、体の会話も含むけどね★)

監督:パトリス・ルコント
2004フランス制作

2013.12.15 Sunday

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