千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
旧館の「千の天使がバスケットボールする」http://blog.goo.ne.jp/konstanze/

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2008.05.28 Wednesday

「楽園」宮部みゆき著

宮部あの『模倣犯』から、9年もたっていたのだ。
主人公の犯人を、私の頭の中では俳優の織田裕二さんに踊っていただいたのだが、その織田さんももう40歳。歳月がたつのは、本当に早い。
他の登場人物の存在がきわだっていたために、少々かげの薄かった前畑滋子さんが最登板しての「楽園」。宮部節は、益々絶好調ではあるのだが。

その前畑滋子をひとりの中年の”おばさん”が訪問する。53歳の萩谷敏子。時代に逆行しているかのように、荒れて節々が太くなった手、汗をふきながら小太りの体を丸く小さくして愚直に訴える彼女の手には、天使のように可愛らしい小学生の息子の写真が握られていた。母子家庭で、貧しい中を懸命に育ててきたひとり息子を、彼女は交通事故で亡くしたばかりだった。ところが、最愛の息子が残した絵には、不可思議な謎があったのだが。。。


宮部ミステリー作家として、独特の宮部節が本書でも効いている。それは、彼女のファンにとっては、「ミステリー」という殺人事件などのグロテスクさや、残酷さ、悲劇に優しさとあたたかさを調和させる魅力となっている。今回は、最愛の息子を亡くした萩谷敏子の存在が、その役割を担っている。もはや絶滅種に近い、本当は賢くて誠実に生きてきた謙虚なおばさんキャラを存分に描きながらも、惜しいかな、上下巻と700ページもありながら、その対極として非行に走ってしまった娘を思い余って手にかけてしまった土井崎夫婦の深層が見えてこない。そして、もしかしたら自分のために姉の存在を両親は封印してきたかもしれないと考える妹の複雑な心理も。これは、前畑滋子の「模倣犯」の後遺症としての心の移りに比重をおいたため、他の登場人物の心理描写がぼんやりしてしまったのだろうか。その真面目で謹厳な夫婦の鵺のような闇が、私にはむしろもっとも恐ろしく感じられた。
仮に、この夫婦にもっと重要な役まわりをさせていたら、「模倣犯」のような社会性にまでふみこんだ大作としての価値があったのだろうが、「楽園」はミステリーの娯楽作品で終わってしまっている。娯楽に徹することができるほど、親の子殺しや、こどもを不意の事故で失った母親の哀しみは表面的ではない。
「模倣犯」で味わった恐怖、被害者側の想像を絶する感情。しかし、現実は、それすらもまるで軽くなってしまうかのように猟奇的で残酷な事件がとぎれることがない。横溝正史の時代から、こんな恐ろしい時代になってしまった現代において、「ミステリー小説」はどこへ向かうのだろうか。不図、そんなことまで考えてしまった。

また論理実証科学主義者の私としては、敏子の息子の「サイコメトラー」という設定は、どうしてもなじむことができなかった。宮部作品のベスト1だと思っている「蒲生邸事件」のようなSFとして読める小説は別だが、全体として中途半端な不完全燃焼で今回は消火してしまった。
宮部みゆきさんは文字どおりの流行作家で、緻密で中身の濃い文章がお好みの私でも、新書が出版されえれば必ず読みたいミステリー作家である。その分、期待や要求が大きいのも事実。それに「模倣犯」「蒲生邸事件」と、すでに最高傑作をうんでしまった作家に、これ以上望むのは酷なのかもしれない。
ただ、前畑滋子センセイと萩谷敏子のコンビはなかなかよいので、このおふたりは今後も再登場する可能性大である。


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2008.05.24 Saturday

「雲の都 広場」第一部 加賀乙彦著

くも2Gacktも好きだが、私はけっこう両津勘吉巡査部長のファンでもある。ご存知、秋本治さんによる連載漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公の両さんである。なかでも「こち亀千両箱」に収録されている「あばけ煙突が消えた日」は、文字通り我家の千両箱入り。下町にある4本の工場の煙突が、見る位置によって、3本、或いは2本、1本に見える現象を両さんキャラで抒情的に漫画化するあたり、秋本さんの職人芸に感嘆させられるのだが、その当時評判だったらしいおばけ煙突を「理論によって完全に説明できる現象に詩的感興を覚えるのはばかげている」と一笑に付すのが、東大の医学生である主人公・小暮悠太の友人である。こんなインテリジェンスな会話が、日常会話として成立する悠太をめぐる知識階級の家族が、敗戦後胎動する「昭和」の歴史とともにたどった運命の行方やいかに。。。

本書の冒頭は、その悠太の母の過去の回想とその割烹着と電気パーマの暮らしぶりの主婦らしい文章からはじまる。昭和27年。戦争の傷跡はまだ生々しく、一方、西大久保にある小暮家の周辺は、空襲で焼けた民家が立ち退いた後、次々と米兵相手の性欲を満たすためのいかがわしい歓楽街へと変貌していった。悠太は、競争率100倍の難関をくぐって陸軍幼年学校に入学するも、夏の8月15日に少年の内面の中の”世界”はあえなく崩壊したのだった。そして、彼は今、医学生として亀有にある引揚者寮でセツルメントに関わっていた。セツルメントのハウスには、さまざまな階層の人々が群れる。妻子がいながら過労で倒れる寸前の赤ひげのような医師や彼を支えて泊り込みで働く看護婦、貧しい医療を支援する医学生たちやぼろぼろになるまで働く労働者たち、そしてそれをつぶそうとする政派や雇われている右翼団体まで跋扈している。まさに時代は、敗戦から”血のメーデー”を迎える政治の嵐が吹き荒れていた。

政治家の叔父やそれぞれに熱中する分野を見つけた東大生のふたりの弟、ヴァイオリニストになるために渡欧している妹の央子、初恋の美貌のピアニストの千束や性的関係を結んだ老いた資産家に嫁いだ桜子など、いずれも個性的な人物が往来していく。彼をとりまく人々は、誰もが大きなうねりのような昭和の日本社会の奔流にまきこまれて懸命に生きている。巷では、精神科医でもある著者の自伝的色彩を反映しているとも言われる大河小説である。


くも私がこの本に着手した動機をさぐると、きっかけは光市事件での死刑判決や、先日観たテレビ番組で紹介されていた小津安二郎の映画あたりだろうと推測される。そして最近、今読みたいと思える日本の小説があまりなく、時代に逆行して読み応えのある重い小説ということで、加賀乙彦さんの男らしいが可愛らしさもあるお顔がうかんだのである。この意識下の選択は、正しかった。
現代の少子化、核家族、洗練されたふるまいや言葉遣いに比較して、複雑にいりくんだ家系や隠微な秘密すら感じさせられる血縁関係、労働者や主婦の発想やものの言い方に最初はとまどうのだが、次第にそれが本書の醍醐味になっていって気が付いたら”はまっていく”。昼メロを楽しみにする主婦の気持ちもちょっぴりわかる。「雲の都」シリーズの前半にもあたる「永遠の都」シリーズ(全7巻!)も読んでおけばよかったと後悔。
映画『太陽の雫』や『輝ける青春』での学習効果もあるのだろうか、読んでいてその時代の空気、雰囲気、悠太に恋をする菜々子の走る足から伝わる土の感触、その菜々子にほれていて彼女を救うために逮捕された貧しい浦沢明夫の簡素な室内の佇まいが、まるで映画を観ているように見えてくる不思議な感覚がある。桜子と悠太がひそかにヨットに乗って、千束の屋敷を望遠鏡でさぐる場面は、さながら「太陽の季節」のようなまぶしい雰囲気もあり、メーデーで菜々子が負傷する重要な部分は、暗くて知的なヨーロッパ映画のようでもある。
印象に残るのは、小暮悠太やその学友たちとあまりにも諸々格差のある最下層の労働者たちが、同じ視線で真剣にぶつかりあうことだ。ことに菜々子という不幸な少女をめぐり、彼女に熱烈な恋をして悠太へのコンプレックスを隠さない明夫や、菜々子に性的な衝動を時々感じてしまう悠太は、友人にもなり、男として対立しもしていく。私の学生時代も今でも、「ボランティア」というきれいな関係で、社会の比較的恵まれている若者と底辺をはうように生きてきた人々の接点はある。しかし、本書で描かれている人物像は、誰もが生々しく本音で本気でぶつかりあっていて、所謂”いい人”とは無縁である。人間関係の希薄化が叫ばれる今日を、本書を読めば誰もが実感するだろう。
吉田首相が東大の南原繁総長を「曲学阿世の徒」と痛烈に批判したエピソードの盛り込まれ、つくづく昭和は「政治の時代」だったと感じる。
21世紀の「経済の時代」に生きる者として、その後の悠太とともに昭和をたどりたい。
「スターリン著者集」をゲルピンであきらめる悠太に、おばけ煙突の現象を一笑にふした友人は買うことを「わずかな金で思想の宝庫が手に入る」とすすめているし。

「この世は分厚いタペストリー。表側には胸躍る喜劇が描かれているが、裏側には、同じ図柄が血塗られた悲劇として表現されている。戦争がそうだ。愛国や名誉や勇気の裏側は虐殺と裏切りと冷酷だ。」

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2008.05.14 Wednesday

「モーツァルトが求め続けた『脳内物質』」須藤伝悦著

もモーツァルトの音楽が聴いていると、病気の症状がやわらいだ、学力が向上したなどと、様々な”モーツァルト効果”が一部喧伝させているが、おおかたの人は商業主義にのせられないよう、これらの似非科学に耳を傾けることがないだろう。実際、科学的に納得いく根拠がないことから、専門家でも真偽がわかれているそうだが、著者はこれまでの説を大胆にひるがえし、様々な状況からモーツァルトはドーパミン欠乏によるてんかん症を患っていて、自らの病を癒すために無意識のうちに”心地よい音”を求めて作曲していたのではないか、という結論に至った。
分子量153の小さな化学物質のドーパミンは、運動・学習、情動などの高次脳機能を調節する神経伝達物質で、別名”快感物質”ともよばれ創造性をつくる鍵を握っているともいえる。

今日残っている資料から、あきらかにモーツァルトは決して健康ではなかったとは多くの人が感じるだろうが、著者の”診断”によると、モーツァルトは少年時代からてんかん症を患い、後に統合失調症を併発したと推察している。著者はピアノ好きの共同研究者が、モーツァルトの音楽を弾いている時、飼っているラットがおとなしくなるという話から、「喜遊曲」などあかるく美しい旋律のモーツァルトの音楽を2時間ほど自然発症高血圧ラットに聞かせる実験を行い、その結果、カルシウムやドーパミンが18%も増えたということだ。これは音楽によって血液中のカルシウムが増加し、その増加したカルシウムがドーパミンの合成を高めて血圧を下げるという治療効果につながったと分析される。しかし、「美しい音楽」という抽象的な理由ではなく、さらに一定の高周波数領域の音がドーパミン合成を促す効果をもつこともつきとめた。
音楽好きだったら納得されるだろうが、モーツァルトの音楽は他の作曲家よりも高い周波数領域で、透明感溢れる純粋なゆらぎの効果がふくまれている。モーツァルトは、物理学者の小柴昌俊さんのおっしゃるように間違いなくアインシュタインよりも天才だ。しかし、彼はドーパミンが減少する病のために少年の頃から苦しみ、その病を癒すために美しい曲に中に、ドーパミンを増やしてくれる高音域という音符を豊富に取り入れ、数多の名曲が後世の我々の心も癒してくれるようになった。逆転の発想が斬新であり、その研究報告も世界的に評価されつつある。

私たちの脳には、数百億以上の神経細胞があり、感情や行動のあらゆる生命現象を調節している。その活発な活動の主役が神経伝達物質である。恋愛感情、怒りや感動など、あらゆる精神活動や心の現象も、いつか、単純な化学反応の結果として現われる現象と物質レベルで語られる時代がくるであろう。この化学反応のわずかな差が、その人の個性として成り立つという考え方には、私もおおいに共感する。また著者によると、モーツァルトの後期の音楽には、てんかん症から統合失調症を併発した影響があらわれているということだ。その分析がたとえ的外れだとしても、私はあかるいのに哀しみの感じられるモーツァルトの音楽にいつもなぐさめられ、間違いなくこころを清められてきた。

先日観た映画『ラフマニノフ』でも、ノイローゼになって鬱状態になったラフマニノフが、精神科医の心理療法を受ける場面があったが、様々な精神疾患に悩んでいた作曲家が驚くほど多いそうだ。チャイコフスフキーも12回にもわたる鬱病期を経過したという研究論文が残っているのだが、それによると内因性鬱病の患者は、『悲愴』を聴くと病状が悪化したという報告もある。モーツァルトだけでなく、音楽にはまだまだ未知の脳の働きとの関連性や影響、効果がありそうだ。
若い人を対象に書かれた本書は、わかりやすく広範囲に音楽と脳細胞の関連が書かれている。生物や音楽の知識がなくても、関心さえあれば一読に値する。そして、一般読者対象に広く読まれるであろう本書に、具体的病名を挙げることを検討し、たまたまそうした病にめぐり合ってしまった方には、凡人にはない感性を大切にしほしいという著者の願いで結ばれている。

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2008.05.11 Sunday

「アムステルダム」イアン・マキューアン著

が最盛期には発行部数200万部を誇っていた雑誌「フォーカス」が、廃刊されてから7年たつ。モラルを疑う取材と、そもそも疑う以前に品格のない過激な写真への世間の批判が、最終的に10万部という落ち込みの数字にあらわれ、廃刊の原因とされた。

気温マイナス11度のロンドンの教会で、46歳で社交界の花だったモリーの葬儀が行われた。
かわいそうなモリー。
レストラン評論家で先端をいくガーデニスト、ファッショナブルな才人にして写真家だったモリーにふさわしく、かっての恋人たちが葬儀に出席した。英国を代表する作曲家のクライヴ、高級新聞紙の編集長のヴァーノン、そして絞首刑をひそかに支持している時期首相候補とまで言われている外務大臣のガーモニー。やがて、地位と名声をのぼりつめた彼らは、モリーの残したスキャンダラスな1枚の写真から、思わぬ道に転げ落ちていく。

映画『つぐない』があまりにも素晴らしかったので、興味をもったイアン・マキューアンのブッカー賞受賞作。映画の終盤で、最後の作家として成功した老いたブライオニーを観て、この作家は映画に見られるようなロマンティストではなく、辛辣で怜悧な作家だと感じたのだが、全く私の印象どおり。芸術、マスコミ(しかも新聞の「タイム」と思われる)、政治、と高尚な職業、或いは現代社会を動かす頂点にたつ彼らは、いずれも知の代表であるべきなのに、その内面は驚くほど平凡でとりようによってはむしろ低俗。スキャンダラスな写真を見て、人格というものが氷山のように大部分が隠れていて、水面に見えている世間的自我は冷たくとりすましたもの、というクライヴの感想に、作家の自虐的で残酷な趣味に自分自身すらも告発された感すらする。凡人で知性などもちあわせていない私だが、薄汚れたクライヴもヴァーノンすらも、もしかしたら自分の陰画かもしれないとおびえてくる。完全にピュアな人間など存在しない。その意識下のかくされた人の本心がきわどい暴露雑誌の売上に貢献したことを認めつつも、それでもこうありたいという理性がまさると考えたいではないか。そんな東洋の慎ましく能面のような表情の女性を鼻であしらうかのように、作家は知を武器にせまってくる。
そして、彼らの運命は、当然の報いかのように過酷な結末を迎える。葬儀ではじまり、「アムステルダム」での終焉。そのファンファーレは、おそろしくも笑えるくらいに諧謔的だ。年寄りの始末を金で解決してくれるという合理的な安楽死法という表現に、私も思わず老後は「アムステルダム」へと言ってしまいそうだ!これまでも、カンバリズムや小児性愛を書いてきたというイアン・マキューアンの辞書には、評判どおりに禁句の文字はない。気取ったセレブから、警察にかけこみ愚にもつかないトラブルを訴える貧困層まで、人の底に見える軽薄さと穢れを冷静に表現した英国の作家は、映画監督のミヒャエル・ハネケにも通じるひんやりとした肌ざわりが通好みだおと言えよう。ブラック・ユーモアで味付けされた文章にも関わらず、全体を通して洗練さを感じさせられるのが、怜悧な知性の証明でもある。

真贋のほどはともかくとして、うんざりするくらいSPMのTBがブログに届く昨今。また画質は荒くとも無法地帯のように妖しげな動画がおかれているサイト。
IT革命によって「フォーカス」よりももっと速く、もっと刺激的に、もっと扇情的にフリーでアクセスできる今、「どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女。それが人間」とのたまった「週刊新潮」の天皇とあがめられ、「FOCUS」を創設した斎藤十一氏だったら、本書にどのような感想をもたれるのか。
小児科医として活躍し、危機に落ちた夫のスキャンダルを鮮やかににきりかえしたミセズ・ガーモニーによると「愛は悪意よりも強い」らしい。

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2008.05.08 Thursday

「追伸」真保裕一著

追伸追伸、、、私は、手紙やメールを書くときに、最後に添える言葉を追記する癖がある。
言い忘れたこと、念押ししたいこと、たいしたことではないがちょっと伝えたいことをユーモラスに、そして実は最も言いたかったことをさらりと最後に。
多作で精力的に活躍されている真保裕一氏による最新の著書が「追伸」である。

ギリシャに単身赴任中である夫、山上悟に唐突に妻から離婚を申し出る手紙が届く。離婚届まで添えて、しかも結婚前の旧姓で。
つい先日、妻の奈美子はギリシャに訪問した時に、移住することを約束して帰国したはずなのに、初めて妻から届いた長い手紙が理由を理解できない一方的な最後通告なのだから、悟が承服するはずがない。
「拝復」の書き出しで、今度は夫の方から妻に長い手紙を出すことになった。

そしてこどものいない結婚10年目を迎えたばかりの夫婦による日本とギリシャを往復する”往復書簡”という形式で本書は構成されている。このような形式で読書家が思い出されるのが、宮本輝氏の名作「錦繍」であるが、「追伸」ではミステリー作家らしく、奈美子の離婚したい理由、離婚しなければならない思いが、一種の謎解きとして主軸におかれ、更に奈美子の母方の祖父母の恋愛と彼らの”往復書簡”を中央に編纂するという凝った二重の構図で物語が編まれている。美しかった祖母に面差しがよく似ている母は、その美貌を封印するかのように生きてきた。そんなことに気が付かない奈美子は、逆に写真でしか見た事のない若くして亡くなった祖母の美しさに憧れていく。
これまでどちらかというとハードボイルドに近いミステリーものというジャンルから、単なるミステリーに悟と奈美子の現代の恋愛、戦前の祖父母の恋愛を盛り込んだのか、或いはミステリーを超えた恋愛ものなのか、その区別で作品の評価はわかれるだろう。一気に読ませられるおもしろさは、本書を地元公立図書館に予約してから手元に届くまで要した長い期間で証明済みであいかわらずの人気ぶりだが、かといって長く心に残る作品かというとそこまでは到達していない。真保氏は流行作家、人気作家として常に売れる作品を世に送りながら、その作品が所詮消費されていくのだとしたら少々惜しい気持ちがする。
最後のギリシャの「根を生やしたオリーブの木には多くの実がなる」という含蓄のある諺がさえているだけに。
また、瞬時に海外に届くメールでなく、あえて「謹啓」というクラシックな頭書きにはじまる現代の夫婦の手紙が古風に感じられ、逆に祖父母の往復書簡の文体や表現が現代とあまり変わらないことが、ふたつの時代の隔たりが感じられず情緒が失われたようで残念だ。
ミステリー小説は確かにおもしろい。本というカテゴリーの中では、娯楽という快楽に最大に貢献しているジャンルだとも言える。しかも、純文学よりも確実に売れる。しかし、あまりにも巧みな作家群によってすっかりこの分野も成熟してしまった感もある。そこに、恋愛という人間的な深みと奥行きを与えたい作者の試みは買いたいのであるが。
追伸
表紙の写真を見て、ギリシャを訪れたくなった。。。


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2008.04.27 Sunday

「波乱の時代」下 アラン・グリーンスパン著

あらんアラン・グリーンスパン氏に再会する。「波乱の時代」の下巻を読了。
ウィンスト・チャーチルの「後ろを振り返るほど、未来がよく見える」という名言にならい、下巻は、80歳を過ぎたエコノミストが見る開かれた未来の窓からうかがえる風景が内容の中心となっている。経済政策立案者にとっては、民主社会と市場主義経済の機能に歴史的な連続性を見ることは、物理法則ほどの確かさはないが、コインを投げた偶発性の確率よりも確かだと。ここで、あらためてグリーンスパン氏が最も思想的に影響を受けて尊敬する人物が、個人の自発性と市場の力の啓蒙主義を広めたアダム・スミスだったということを思い出した。市場はあまりにも複雑になりすぎ、行政の規制能力が落ち、人間が効率的に介入できないため、リスク・ヘッジは市場の柔軟性を維持すること、ひいてはヘッジ・ファンドやプライベート・エクイティ・ファンド、投資銀行などが金融市場で自由に泳ぐことによって不均衡を解消していくという意見に至る。「神の見えざる手」が、結局カネ稼ぎの富が更なる富を生む構図に合理的で有効になるとは、道徳家でもあったアダム・スミスの予想外のことだったかもしれない。

そして米国のみならず、ロシア、中国、南米と世界規模で見通すグリーンスパン氏は、市場主義、資本主義経済が、もっとも効率よく生産的であることが、グローバル化によってあきらかになるとされるが、その一方、果実の配分が公平に分配されないことが最大の弱点だとしている。(私自身は、最近、この弱点に米国型市場主義経済の曲がり角を感じて、いつの日か、遠い未来には別の形態の経済体制が生まれると予感しているのだが。)

在任中は、曖昧模糊とした言い回しで有名だったグリーンスパン氏だが、全体を通して静かだが明晰な高い山にある湖を見るような印象を受ける。熱狂もなければ、絶望もなく、おだやかで澄んだ湖面から、読者は心よくその底をのぞいて眺めているような心境になる。歴史が、熱狂と絶望の繰り返しであり、何度繰り返しても学習しないのは、それが人間の本性であることを達観しているからだろうか。格別新鮮な発想や斬新な見方はないが、読んでいるうちに、そう、象牙の塔の住人ではなく、FRB議長を退任するまで、日々是市場の”生きた”経済の中心にいた老エコノミストの最後のスペシャル講義を拝聴しているような気がしてくる。

2030年後の日本におけるグリーンスパン氏の関心は低く、そっけないのが少々淋しい心境もする。
2000年にグリーン・スパン氏が当時の宮沢喜一大蔵大臣に会った時、米国のRTC方式を勧めたが、”体面を失うこと”を恥じとする日本文化の前に断られたという記述があった。日本の資本主義経済は、別の文化でまわっていることに気がつく。確かに日本人は小さな島国の民族意識からだろうか、利己主義的にふるまうようよりも、”国益”の中でものを考えることを尊しとする人種である。しかし、新卒の就職事情がバブル期以上の活気があるとは言いつつも、日本経済は停滞して、我々は希望をもてなくなっている。余談だが、将来、年金給付水準を下げても、日本人は制度の変更を国益の中で考えるから心配ないと豪語する?日本の高級官僚たち。米国だったら議会や有権者が納得しないだろう。所詮、見方を変えれば国民を国益の単なる駒としか見ていないテクノクラートに、私たちは行政をゆだねているのかと思うとグリーンスパン氏だけでなく私も失望した。

人間が逆境に耐え、進歩を続けられるのはその適応力にある。その適用力こそが、我々を楽観的にしてきた。今後、予想もしない将来が待っているかもしれない。しかし、我々がみな本能的に追い求める希望のフロンティア精神が消滅することはないだろう、というグリーンスパン氏の最後の確信に導かれて、グローバル化の荒波に乗った私たち日本人の船のいくつく先を見たいと考える、そう、できればはるか遠くまで。

グリーンスパン氏が2歳の時に両親は離婚した。以降、ずっと母と母方の祖父母とともに暮らしていたが、ウォール街で活躍した父による大恐慌の終焉を予想した経済書「RECOVERY AHEAD!」には、父からひとり息子のアラン宛ての不思議な献辞が記されていた。
「息子のアランへ。(中略)この論理的な予想の背景にある根拠を解釈し、あまえ自身の仕事をはじめるよう期待している」
まるで、この曖昧模糊とした不思議な父からのメッセージに導かれるように歩んだ著者の人生の歴史が上巻だとしたら、下巻はその80年にわたる人生の集大成かと思われる。だから、幾分感傷的な感想にもなってしまうのだが、金利、市場主義経済がよくわかる経済の入門書、さらにその道のプロでもある市場関係者にもお薦めできると思われる著作である。お忙しい方には、読物として魅せられる上巻もよいが、感動すら覚える下巻だけでも。
ついでながら、あとがきで有能なジャーナリストである妻に最大級の謝辞を贈りながら、最後に、20万語に近い分量があるので、すべてを確率で考えるわたしは、どこかに間違いがあるはずだと思い、読者にあらかじめお詫びをしている。私も諸々すぐに確率で考えるタイプなので、こんなチャーミングでユーモアな言い方にちょっと嬉しくなり微笑んでしまった。^^

*RTC方式⇒
〃弍調躓,亡戮辰臣蓄金融機関の大部分を破綻させる
∋饂困鮴┿患還に移す
資産を大幅に割引して処分。不動産市場の再活性化。



「波乱の時代」上巻
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2008.04.20 Sunday

「続 獄窓記」山本譲司著

つgく2法務省発行の「矯正統計年報」によると、現在、年間3万人の受刑者が入所してくるが、そのうち25%の受刑者が、IQ70以下の知的障害者である。そんな彼らが、刑期を終えて出所後待っている環境、社会の受け皿は。

刑期満了後、3ヶ月たったあるクリスマスの日、著者は大量に投与されてせいだろうか、太ったある32歳の男性とずっと手をつないで動物園にでかけた。彼は、著者の刑務所時代の友人である。出所した彼を待っている家庭は、母親は12年前に蒸発して行方不明、父親は脳梗塞の後遺症で半身不随、そして弟は統合失調症を発症。こんな家庭環境の元囚人の知的障害者の彼に、社会復帰のプログラムは用意されていない。そもそも、受刑されていた刑務所時代も、厚生教育のプログラムを受けるわけでもなく、懲罰を受け、処遇困難者として薬漬けにされ、同じ受刑者からもネグレストされて「非人間的」「非社会的」に落ちていく彼ら。
”秘書給与詐欺事件”で1年6ヶ月服役した著者が、こんな塀の中の驚くべき実体をあきらかしたのが体験記の「獄窓記」だった。その本の最後は、本当の現実を知り、これまでの理想を語り、福祉政策を論じてきた政治家としての活動を恥じ、出所後は「福祉の仕事に関わりたい」と結ばれていた。そして刑期を満了して出所した。
その後の元囚人の山本氏の人生・・・ここから始まるのが「続 獄窓記」である。

「刑務所は、やっぱり大変だった。でも、これからのほうが大変だ」
いわば人生の選択肢を与えてくれた友人のその言葉は、著者に重くのしかかる。
著者は、友人とは違って、あたたかく迎えてくれる妻、可愛い盛りの息子という家族があり、また同居をすすめてくれた義父母の自宅や友人、恵まれた環境といってもよいだろう。それにも関わらず、本書の前半は、囚人としてのコンプレックスにさいなまれてひきこもる日々がくりかえされて書かれている。元々志高く、真面目な人だけに、常に自分を責めたてる。確かに福祉の専門学校の入学も断られ、”前科”の重いくびきが、社会復帰をそがいでいた。社会から抹殺されたかのような厳しい現実に、著者は絶望しそうになる。しかし、受刑体験のすべてを書き残そうと決意して生まれたのが、「獄窓記」だった。このたった1冊の本から、著者の人生は、文字通り第二の人生の道が開かれる。
私が最も感銘を受けたのは、著者とまさに”福祉”を本気で考えている人々との出会いと、そこから動きはじめた数々の活動である。
運命的な出会いのような前作を出版したポプラ社の編集者、出版後、最初に取材にきた長靴をはき大きな蝙蝠傘を背負った北海道新聞の記者、そして「社会復帰センター」建設に関わる建設会社の人々。誰もが受刑者の処遇を変えて、刑務所を改革をして、社会から孤立している障害者を救いたいと願っている人々だった。

やがて山本氏の活動は法務省にも認められ、全国の刑務所長たちに講演をするまでになり、実際刑務所は確実に変革しつつある。また著者は、現在、知的障害、精神障害のある受刑者に対し、生活訓練・社会適応訓練、カウンセリングなどの障害特性にあった処遇を行う新しい刑務所の運営アドバイザーとなっている。最初の新刑務所の建築の開札に、品質では勝っていたのに価格差で落札できなかった時、
「また挑戦しましょう」
そう叫ぶように電話で伝えて終えた最終章の「いつの日か」は、まだまだ続いている。

著者の人生の変遷に驚くが、エリートの政治家時代よりも、たとえ前科があっても、彼ははるかによい仕事をしていると思われる。出所後の仕事を知れば、誰もが選挙になると”福祉”を声高に連呼する政治家よりも彼の活動を応援したいだろう。
けれども忘れてはいけないのが、著者がようやく就職できたのが、知的障害者入所施設の時給1000円の支援スタッフの仕事だった。この仕事は、獄中での体験とともに、今日の活動を支える原点である。人との出会いに恵まれている著者は、こえからも家族や友人、多くの人々の理解や支援が、活動や運動を応援して支援してくれるだろう。しかし、本当に彼の活動をかげながら最も支えているのは、受刑者時代の多くの認知症になった老人や障害のある受刑者の友人たちの存在だ、と私は思っている。


■アーカイブ
・「累犯障害者」塀の中の不条理
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2008.04.16 Wednesday

「波乱の時代」上 アラン・グリーンスパン著

あらん米国経済、ひいては世界経済の金融をつかさどる偉大なる船長が、87年レーガン大統領によって任命され、一昨年80歳を前に引退するまでFRB議長として”波乱の波”をのりこえ、根拠なき熱狂をかわし、いくどもそのソフト・ランディングを神業とまであがめられたアラン・グリーンスパン氏の回想録のタイトルが、「波乱の時代」。これは、皮肉にも後継者であるバーナンキ議長への次なる時代の予感をこめられたメッセージとも受け止められる。しかし、悪夢のようなサブプライム問題へのグリーンスパン氏の原罪の有無と責任を問う前に、私は本書に魅せられた。
概ね経済・産業界、政界で活躍した地位も名誉もある人物の回想録は、饒舌で自信に満ちた自己アピールで退屈な時もあるのだが、率直で飾らない文章と、なんといってもジュリアード音楽院で音楽を学んでジャズ・プレイヤーとして活躍した青年が、計量経済学の黎明期にマクロ経済学モデルとその限界を理解した後に、エコノミストとして活躍した半世紀。それは米国経済の軌跡であり、地球儀の上にかかる雲の流れを眺めているような感覚を読者に与える。そして世界の頂点を極めたエコノミストの哲学のような思想や発想、その優れた洞察力と品格のある性質、今でも記憶に残る日経新聞に掲載されたアンドレアさんとの結婚式の写真(そもそも日経新聞に個人の結婚式の写真が掲載されたこと事態が珍しい)からも想像されるように、恋人時代からのおだやかで信頼の充ちたふたりの関係も含めて、私は丹念に文字を追うことの楽しみを慈しむような感じだった。

予想どおり、グリーンスパン氏は共和党員である。クラシック音楽好きだからと言う訳ではないが、保守的な方でもある。そして氏は、ルートビヒ・ウィトゲンシュタインにはじまる哲学であり、知識は事実と数値からのみ得られるとする論証を重視する論理実証主義者である。原子物理学にも魅力を感じていて、マンハッタン・プロジェクトの科学者に共鳴していて、価値観や倫理、行動様式は文化を反映して、厳密な論理の対象にならないと考えている。この主義思考から、社会科学者としてのエコノミストとしての一面もうかがえて興味深かった。
また、ニクソン大統領から現ブッシュ大統領まで、さりげない表現ではあるが、歴代の大統領の貴重な証言にも、グリーンスパン氏が経済分析だけでなく人物を分析する能力にもたけた人という印象も残った。氏によると権力の頂点にたつ者がかなり変わっているのを見てきたが、フォード大統領は、精神的に常に安定していて冷静。自分が知っていることが何で、知らないことが何なのかを理解し、経済に明るいほどではないが、経済政策に関する見方が洗練されていて筋が通っていた。カーター大統領は優柔不断で、無策ではないが経済動向に関しては不運な人。レーガン大統領は、大統領の地位に明るさと善意をもちこみ、知性のカタチが違っていて、グリーンスパン氏はすかりその性格に魅了された。クリントン大統領はきわだって頭脳がよく、読書好き、世界のあらゆることに好奇心をもち、経済の細部まで関心をもった。更に現実をごまかそうとせずに、勇気のある人だった。そして、歴代大統領の中で強烈な人物は、やはりニクソン大統領だろう。クリントンと並ぶくらい飛びぬけて優秀で、自分意見を述べる時は、そのままでセンテンスとパラグラフが見事に整った文章になる話し方をし、たった今入手した知識のなかった最新ニュースさえも、大学教授のように豊富な知識をもっているかのように記者会見にいどむことができる。まさに、政治家向けの才能がある、のだが、或る日政策について議論する場で、民主党がいかに悪辣かを口汚く非難しはじめた。これはある程度想像できるが、驚いたのが、口調が厳しく卑猥な言葉が次々と飛びだしたという点だ。非常に優秀な反面、人間嫌いでとんでもなく偏執的、というキャラクターの持主は危険すら感じる。フォード大統領とは、昼と夜ほどの違いのある人間の暗い側面をかいまみたグリーンスパン氏は、ニクソン大統領から離れていった。

随所にグリーンスパン氏の鋭く光るセンスや信条、社会主義や計画経済がうまくまわらない理由、インフレをコントロールする技などがさらりと詰め込まれた本書は、一度は読んでおきたい経済の教養本である。
そして今、老いたエコノミストが夢みるのが、党派をこえた友情の培われた共和党の大統領に民主党の副大統領、あるいはその逆パターン。それもありかな、と無知な私ですらそう思う。そう、確かに世界が平和であれば問題はないはず。。。



「波乱の時代」下巻
■アーカイブ

米国の不思議な聖域「FRB」

「ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝」田中秀臣著
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2008.04.12 Saturday

「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ著

くら正直言って、確かにおもしろいのだが「のだめカンタビーレ」は私にとっては胸きゅんレベルの漫画ではなかった。ところが、ピアニストの青柳いづみこさんが書かれた「ピアニストが読むマンガ」でご教授いただくと、あの漫画が実はよ〜くデキテイル作品だということがわかった。目からうろこ、、、というのはこういうことだった。

青柳いづみこさんによると指揮者志望の千秋に対して、のだめは作曲家タイプで作曲家になることを希望していたホロヴィッツにそっくりだそうだ。ホロヴィッツは、ロマン派時代のピアニストのように楽譜に書いていないものを”かってに”つけ加えて弾くのが得意だった。楽譜忠実派の千秋にしてみれば、のだめの演奏は「楽譜見てねーじゃねーか!!」と怒りたくなるのもよくわかる。たとえばコルトーのようにテンポをゆらしたりロマンチックに弾く演奏は、フランス人には「娼婦のような演奏」とあまり評判よろしくない。だから、自己陶酔型のターニャが良い演奏をしても「大事なのはこの曲の音楽だ」とコンクールで落とされてしまったのもわかる。しかし、現代では即興演奏したり(ヴァイオリニストの古澤巌さんの「ひばり」など)、ジャズやポップスにシフトしてもっと自由に音楽とつきあう人が増えていることから、のだめと千秋は古い価値観と新しい価値観の代表選手と分析している。(新しい価値観のトップバッターだったヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんは、作曲の才能だけでなく先見の明があったと実に感心する。)
またのだめのモデルのひとりが、1980年のショパン・コンクールでアルゲリッチが怒って審査員をおりた事件で、逆に一気に知名度と評価があがったポゴレリッチ説も有力である。当時、彼の演奏に25点満点で5点以下の点数をつけた審査員もいたそうだが、通常水準以下でも12〜13点はだすのが慣習であり、もともと超絶技巧の持主であるポゴレリッチがミス・タッチなしで最後まで弾いたのだから、あれはありえない点数、野生児のアルゲリッチが怒るにももっともだったそうだ。理由は、彼のマズルカが伝統的な解釈とあまりにもかけ離れていたところにあるが、斬新な解釈が計算されていている点で天然の変な解釈をするのだめとは全く異なる。自分の個性を強烈にださずに、審査員全員に嫌われない演奏をしないと入賞できないのがコンクールの欠点であろう。
のだめのコンクールや試験での選曲、千秋の演奏会での天才性を証明するプログラミングや登場人物の性格に至るまで、音大で教授もされている著者らしい平易で楽しい解説は、文春新書もここまで軽チャーになったのかと妙に感心するくらいノリがよくあっさりかるめである。読者の対象を従来からのクラオタというよりも「のだめカンタビーレ」のファンになり、はじめてコンサートなるものにおでかけする初心者対象なのだろうか。

それでも”年季のはいった”(←いろいろな意味で)calafさまやromaniさま音楽好きの方にも本書をお薦めしたいのが、このタイトルにこめられた「ボクたちクラシックつながり」という意味である。不良債権といわれるくらい回収できない投資が必要な職業のピアニスト、たとえ世界的な演奏家になっても待っている孤独で厳しい演奏生活、はびこる商業主義。(なんとフランスで最も人気のあったピアニスト、フランソワ・デュシャーブルは音楽界をとりまく商業主義に絶望してグランドピアノを湖に沈めて燕尾服を街頭で燃やして引退してしまった。)けれども、一流の音楽家だけでなく、落ちこぼれ集団のSオケ、廃業寸前のルー・マルレ・オケ、サントリーホールや一流レーベルに縁がないピアニストも、ピアノ教師、趣味でピアノを弾く人たちでも、みんな、みんな音楽でつながっている。

「のだめカンタビーレ」だけでなく、私は読んだことがないが映画化された「神童」「ピアノの森」など、音楽マンガはちょっとしたブーム。これらの音楽マンガは、一般人に知られていない不思議なクラシックの世界の扉を開け、音楽家の生態を暴露?したことになったのだが、その扉の内側の住人の心情が結ばれた「おわりに」が、私にとってはマンガ以上にしみじみとこころに響いたきた。著者が思い浮かばれた千秋とのだめのような、あるピアニストのご夫婦のはなし。。。
「そして音楽への”愛”がすべてを浄化してくれる」
そう、そうなんだよね、とひとりごちながら、扉の外から内側に住む”ボクたちクラシックつながりの”人々の幸福を願いながら、本を閉じたのだった。

■アーカイブ
・クラシック音楽家の台所事情

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2008.04.09 Wednesday

「夜明けの街で」東野圭吾著

よ「不倫する奴なんて馬鹿だと思っていた」

妻とひとり娘とともにマンションに住む1部上場企業の30代後半のビジネスマン、そんな渡部の告白による一人称で物語は幕を開ける。
”思っていた”という過去形が、自ずと勘のいい読者には結末が予測できるだろう。評論家の喜志哲雄氏によるとシェークスピアの「ロミオとジュリエット」は、冒頭のコーラスなる進行係りのよってあらかじめ結末を知り、読者は若い恋人の浮き沈みに痛切な共感を覚えながら、すでにわかっている宿命の登場人物に距離をおき、物語の無意味さを知的に眺めることを求められることになる。本書は、家庭もちの平凡なサラリーマンが資産家の和風美人の派遣社員と恋に落ちた・・・という男性にとっては「真夏の夜の夢」のような設定に、実は恋人の秋葉は父の恋人を殺害した殺人者かもしれないという、ミステリー作家としてあぶらののっている東野圭吾らしい謎解きをからめている。

相手が派遣社員の女性とは、、、なるほどな〜と思う。派遣社員は、派遣先にはプライベートな履歴まで知らされていない。つまり、同じ会社の社員よりもベールに包まれていて、しかも美人だったらなおのこと興味がそそられる部分もなきにしもあらず、また契約期間がきれたらご縁もそれっきり、たとえふられて玉砕しても後遺症は少ない。男性にとっては、正社員よりもねらいやすいカテゴリーかもしれない。しかし、主人公の渡部は決して浮気性ではない。
「一度きりなら浮気、継続したら不倫」
浮気症ではないから、なんの落ち度もない良妻賢母の妻にかくれて、というよりもだまして何度も逢瀬と重ねて秋葉との恋にのめりこんでいってしまう渡部。よくある不倫なのだが、水が流れるように自然に妻以外の女性に恋をしてしまい、悩みまどう男の生態がリアルに描かれているところが読みどころ、そのためかミステリーとしてのさえは鈍っているというのが惜しいかな。
ただ女性の立場として考えたら、夫の浮気に勘付いていながらコトを荒立てることによるリスクをさけ、淡々と波風たたせず生活してひとり娘の私立小学校の受験準備をすすめる妻、ひと昔前だったら良妻賢母のデキタ嫁だろうが、このタイプには私はあまり共感がわかない。こんな妻、はたして魅力的だろうか。林真理子さんによると最近の傾向として、既婚女性は夫以外の男性と関係をもたないそうだ。不倫なんて、今時流行らない、ということになるのだが、林さんの交流関係を考えると安定したゆとりのある生活ランクと思える専業主婦の妻たちは、不倫に伴うリスク(離婚)を考えると浮気や不倫はみあわないそうだ。本書の渡部も不倫に伴うリスクと損失から、冒頭の不倫する奴は馬鹿という発言になる。
しかし、行ってはいけない道とわかっていて足をふみいれて迷うのが人間だ。人が理性的に行動できないという前提で展開されるのが、行動経済学だ。それに、妻の座という既得権益は、確かに手離すには惜しいかもしれないが、他の女性に敵わない愛情を育てられなかった罪が妻側にも全くないとはいえないのではないか。そもそも、夫の不倫に耐えてゆるした妻に限って、定年退職後の老後は、慰謝料をとり年金分割で生活を維持できる金銭を確保して濡れ落ち葉を掃いて熟年離婚にもちこみそうだから、男性もご用心。
「ありがとう」その言葉を残した秋葉の少女のような無邪気な表情に涙がきらきら光る描写は、やっぱり男のせつない願望のあらわれである。こんなボルボを運転している都合のよい魅力的な女性はまずいないし、仮に遭遇したとしてもそうそう簡単に釣れるわけがない。もしラッキーにも親しくなれたら、素朴な男性は秋葉のようになんらかの意図がかくされているのかもしれないと疑った方がよい。

自分の長所をアピールするのが恋愛で、短所をさらけだのが結婚。結婚によって、多くのものを失うことに気がつかなかった。離婚歴のある著者のこんな言葉は、おおかたの男性の本音だろうか。先日亡くなった俳優のチャールトン・ヘストンの長い結婚生活の秘訣は、「努力」。

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