千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  
旧館の「千の天使がバスケットボールする」http://blog.goo.ne.jp/konstanze/

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2013.12.15 Sunday

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2008.05.31 Saturday

業務連絡

私も出張へ、、、と言いたいところですが、これから京都に旅行に行ってきます。
ここのところ毎月のように旅行をして、ブログの更新も滞りがちなのが気になるところではあります。毎日、晴れたり曇ったり、同じ時間、同じ印象、同じ思いなどないのに。。。

2008.05.21 Wednesday

やっぱり「ニュースの天才」

先日、読んだイアン・マキューアンのアムステルダムは、いわば大衆を操作する立場にあるインテリゲンジャーへの痛烈な皮肉が効いていたが、私の中にひっかかったのは、数枚の写真をめぐるコトの顛末と人々の受けとめ方である。外務大臣という要職にあるガーモニーの若かりし頃のスキャンダラスな写真をめぐる高級紙の編集長と、テレビという活字と映像のメディアの対応の違い、そして受けて側の大衆の反応である。発行部数を伸ばすこととガーモニーを失墜させるためにその写真を利用した英国の高級紙に対し、難病の貧しい娘の手術を成功させた小児科医という立場をテレビ・メディアで利用して、国民の心をつかんだガーモニーの妻は、見事に夫のスキャンダラスな写真を”プライベートな趣味”におさめて勝利した。ここで感じるのが、マスコミの大衆への影響力の大きさとその表裏一体のきわどさと危うさである。
これは、我が国でも「光市事件」において、「テレビ報道・番組が、感情的に制作され、公正性・正確性・公平性の原則を逸脱している」と放送倫理・番組向上機構が意見を発表したことにも重なる。裁判に国民感情を反映させることは是とするが、その国民感情に与えるマスコミのあり方に時々疑問を感じる時がある。

ところで、そんな英国に、ニューズ社の最高経営責任者で、メディア王と呼ばれるルパート・マードック氏が上陸する。
情報誌「選択」によると、ロンドンのフリー・ペーパー紙に「ウォール・ストリート・ジャーナル」の紙面広告が掲載された。「ライバルはうたた寝中。これで君の勝ちだ」
勿論、ターゲットは「フィナンシャル・タイムズ」である。現在、ニューズ社が傘下にもつ主な米国企業は、昨年買収した前述の老舗「ウォール・ストリート・ジャーナル」、映画会社20世紀フォックス、FOX社(テレビ)、出版社ハーパーコリンズ。これだけでなく、欧州、アジアまで広がり、総資産額が約690億ドル、収入は310億ドルにもなる。まさに王国なのだが、お金も大事だが、マードック氏の本気分野は、あまり儲からない「新聞」にあると言う。「言葉を使って人々とコミュニケートするスリル」が醍醐味と語っているのだが、若かりし頃のエピソードを知ると、その本気モードの”スリル”がなんとなくわかってくる。
マードック氏は、オックスフォード大学在学中に父を亡くし、母国のオーストリアの小さなふたつの新聞を相続した。
弱冠22歳で「ニューズ紙」の発行人となったマードックス氏は、自ら取材や編集も行い、「マックス・スチュアート」事件を手がけたことが転機となる。当時、少女殺害で絞首刑になるはずだったスチュアートを、ニューズ紙は有罪を疑問視する報道を大々的に行い、死刑を終身刑に軽減させて彼の命を救ったのだった。この時の経験で、マードック氏は政治や司法界におけるメディアの影響力の大きさを実感した。私だって、光市事件では、メディアの司法のおける影響力を実感しているのだから。その後、合理化を断行し、ポピュリズムを主体とした紙面を貫き、次々と利益を所有媒体の投資にまわして買収を続けて、今日の一代帝国を築いた。
何しろこの方の最終目標は、Gacktさんのセリフではないが、「世界制覇」。77歳、タフである。
それにしてもこの方の一番の功績(罪)は、誰もが言うようにニュースとプロバガンダの区分けをなくしたことであろう。
メディア評論家のロイ・グリーンスレード氏によると
「プロバガンダをしながら利益をあげる天才」らしい。
そういえば、『ニュースの天才』という映画もあったな・・・。

2008.04.24 Thursday

「つぐない」

光市母子殺害 重い意味持つ「厳罰化」4月23日)<北海道新聞>
山口県光市の母子殺害事件で、広島高裁の差し戻し審が、当時十八歳の少年に死刑を言い渡した。
判決は、殺意を否定する被告の新たな主張をすべて退けた。弁解や反省も刑事責任を軽くするための偽りだとして、「くむべき事情はない」と判断した。

この事件では殺人罪などに問われた少年に対し、一審と二審は無期懲役の判決だった。
最高裁は二年前、「被告の罪責は誠に重大で、特にくむべき事情がない限り死刑の選択しかない」と異例の差し戻し判決を出した。今回はその流れに沿ったと受け止められる。 少年への死刑適用のハードルを下げた重い判決と言え、厳罰化の流れをさらに進めるだろう。
差し戻し審で弁護側は「精神的に未成熟な少年による偶発的な事件」と主張した。しかし、判決は被告の供述が不自然だとして一蹴(いっしゅう)した。

判決は、被告側のくむべき事情については、厳しく判断した。
被告は幼少期から実父の暴力を受け、中学時代に実母が自殺していた。家庭環境に恵まれず、精神的な成熟度が低かった。 判決は、こうした点を認めながらも、罪質や動機、態様を考えると、死刑を回避する十分な事情とまではいえないとした。 これは、少年の矯正可能性や年齢を重視してきた従来の判例とは大きく違っている。

死刑について最高裁が一九八三年に「永山基準」を示してから、犯行時に未成年で死刑が確定したのは十九歳が四人を殺した二件だけだ。
今回は死者が二人である。少年法で十八歳未満には死刑が適用されないが、十八歳一カ月という最年少への死刑判決にもなる。
永山基準は、罪質や被害者の数など九項目を総合的に考え、極刑がやむをえないと認められる場合に死刑を選択するというものだ。死刑は例外的な刑罰との立場だった。
これに対し、光市事件で最高裁の小法廷が示した差し戻し判決は、原則と例外を逆転させたようにみえる。「犯罪が客観的に悪質とみられるなら、少年でも原則として死刑とした」とみる法律学者もいる。
判例の実質的な変更にあたるなら上告に際し最高裁は、大法廷で慎重な審理をする必要もあるだろう。

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日本中が関心をもった事件の判決がでた。
昨日、いつもは芸能人やテレビの話が多い勤務先の方から、この事件の報道の感想を話しかけられたのだから、やはり国民の関心は強いのだろう。日本は、終身刑がないのだから死刑はやむをえなし、もしくはあんなひどいことをして死刑が当然、殆どの方がそうもっともらしく自信たっぷりに語る。しかし、18歳の誕生日を迎えたばかりの少年が、異常で残酷な犯行に及んだ動機や背景、被告人の闇に誰も殆ど関心をもたない。本当に、それでよいのだろうか。

インタビューに応える被害者のご遺族の態度と発言は、判決が執行されてももどらない命と失われた幸福な家庭の無念さがにじみでていた。また世論をまきこみ、判決に達成感を感じながらも、「死刑がよいとは思わないが」と永山基準をこえたこの事件の判決がもたらした意味を理解し、この哀しみの9年間の歳月、毎日考えに考え抜いた様子が伺える。いつもながらの理路整然として非のうちどころのなく、その反面、せつせつと訴える被害者感情に共感を覚えない人はいないだろう。それに比較して、ご遺族に対して失礼なこれまでの弁護団の態度は、納得がいかない。

しかし、荒唐無稽だと評された少年の証言が、”弁護団”と協同作業の死刑回避のためのあさはかな詭弁なのか、それとも父親から虐待され、実母の自殺により精神が遅滞した12歳の精神年齢がもたらした妄想という真実なのか。私は、本当のことを知りたい。
たまたま山本譲司さんの「続 獄窓記」を読んだなかで、山本さんと犯罪被害者の遺族会の方たちとの意見交換会で、犯人が更正して社会に貢献できて、はじめて遺族はいやされると最近考えると伝えた母親の証言が印象に残った。「つぐない」は、自分の命をもってつぐなうべきなのか、それとも究極の更正なのか。
さらに映画『つぐない』を観て感じたのが、人は果たして過去に犯した罪をつぐなうことが可能なのだろうか。一生つぐなうことはかなわないのだろうか。
いずれにしろ、被害者の感情をしっかり受け止めながら、多くの問いを残した今回の判決をもっと考えていきたい。

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光市事件報道 BPO「感情的に制作」 04月16日<朝日新聞>

NHKと民放でつくる第三者機関「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会(委員長・川端和治弁護士)は15日、山口県光市で起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審をめぐる一連のテレビ報道・番組について「感情的に制作され、公正性・正確性・公平性の原則を逸脱している」などとする意見を発表した。同日、NHKと在京民放5局に通知した。川端委員長は「各局で議論した上で、その結果が報告されることを期待する」と話した。

同委員会は番組に放送倫理上の問題が疑われる場合、独自の判断で審議する組織。07年5〜9月に差し戻し控訴審の内容を伝えたNHKと民放の8放送局、延べ33番組を調べた。今回は、個別番組ごとの問題ではなく、多くの番組に共通した傾向を全般的に取り上げた。
意見書では、ある番組で被告側の主張を「命ごいのシナリオ」と呼ぶなど、被告弁護団や検察官、刑事裁判の仕組みや役割を十分認識していない▽被告人がどういう人間かが伝わらず、その発言を表面的に批判・反発している▽被害者家族の会見映像が多く流され、同情・共感を強く訴える内容になっている――ことなどを指摘。「一方的で感情的な放送は、広範な視聴者の知る権利にこたえられず、視聴者の不利益になる」とし、来年から実施される裁判員制度への影響にも触れている。

■アーカイブ
・或る日のCBSレポートから
・米国のふたりの知事
・映画『息子のまなざし』

2008.04.14 Monday

ETV特集「神聖喜劇ふたたび〜作家・大西巨人の闘い〜」

大西大西巨人、健在也。
つい敬称を略称してしまったが、戦後文学の金字塔とまで評される「神聖喜劇」の作家であり、大正7年生まれ、現在91歳になる大西氏は脚腰は多少弱ってはいたが、今も深夜から夜明けにかけて毎日執筆活動を続けていた。昨夜のNHK教育テレビ「ETV」では、この流行作家とは無縁な老作家をとりあげていた。

原稿用紙4700枚、全5巻もあり、理論と理屈が延々と続く長編小説なのだが、誰もがあっさり”泣ける”読みやすいわかりやすい小説が人気を集める近頃の読書傾向にも関わらず、「神聖喜劇」が再び脚光をあびているという。しかも若者を中心に。でも、本当だろうか・・・。「神聖喜劇」は、本棚の隅っこでほこりを被っているが、我家にとっては子孫に受け継ぐべき本。今時の大学生からこの読んでいる時と聞いた時はとっても驚いたが、どうやら「神聖喜劇」は人気すらあるらしい。芸能人のようにハードなおしゃれが似合う作家の阿部和重さんも登場して、日本文学史上の最高傑作とたたえる。脚本家の荒井晴彦氏が脚本を完成させたそうなので、いずれ映画化もされるのだろうか。



大西2番組では、大西巨人氏の太平洋戦争中に対馬要塞に配属された70年前の軍隊時代の写真を交えて、この地をほぼ半世紀ぶりに訪問する大西氏の映像、岩田和博さんとのぞゑのぶひささんが描いた漫画、この小説に実際に魅せられたという西島秀俊さんのナレーションを交えて「神聖喜劇」が紹介されていく。冬木役、大前田軍曹役の俳優たちのセリフも重なり、戦時下の軍隊における緊迫感はテレビの映像からも充分に伝わってくる。
主人公の東堂太郎は、抜群の記憶力で上官の指導に反論して次々と論破していくのだが、大西氏と一緒に軍隊生活を送っていた人によると大西氏自身も記憶力が大変に優れていたという。往年の記憶力は、老いて尚殆ど衰えていないかのような印象を受けた。自宅を訪問された俳優の西島さんに、当時の軍隊の規律が書かれた小冊子をすぐに示した。また当然かもしれないが、大西氏自身の軍隊での体験が作品に相当色濃く反映されていることも、今回の番組で感じられた。
埼玉県さいたま市にあるご自宅に、長男の赤人氏が同じく作家となって独立し、また病から生後まもなく障碍者になった野人氏が44歳でなくなってからは、奥様と二人暮しである。ご自宅のすべての壁にあるかと思われる本棚は、すっきりと整理整頓されていて、まさに清貧の暮らしぶりが伺える。こんなに長い歳月をかけて延々と閉ざされた世界を緻密に書いたてきた作家を夫にもち、さらに病をもつふたりの男児を育てて、経済的なだけでなく一般人とはまた違うご苦労もさぞかしあっただろうと私なんぞはすぐ考えてしまうのだが、奥様の自然でおだやかな笑顔がとてもよい印象を受けた。こんな奥様だから、大西氏も執筆活動にうちこめたのでは、と女性としては思ってしまう。赤人氏の高校受験時の父の対応に対するインタビューにこたえる感想に、あかるい達観が感じられたのも、母親似の容貌のせいだろうか。
大西氏は、実に変わった作家である。率直に言ってしまえば、厄介な人物という印象もあり、その心に、私は近寄りがたいものすら感じている。
しかし、残した作品に、人々は不朽の価値があることを認めている。

■アーカイブ
漫画版「神聖喜劇」

2008.04.13 Sunday

菊池俊吉写真展-昭和20年秋・昭和22年夏-

ひろ生意気ながらも上司にお薦めしたいのが、アラン・グリーンスパンの「波乱の時代」。この本は、おもしろい。
上巻は1987年9月、レーガン大統領によってFRB議長に指名されたアラン・グリーンスパンの回想録なのだが、就任当時のインフレ圧力を抑えるために公定歩合を0.5%引き上げて景気を減速させる試みの心境を、ニューメキシコ州の砂漠で初めて原爆実験を行った物理学者の回想を思い出しながら綴られている。マンハッタン計画に関わった科学者をはじめ、政治家、軍人たちは計画の”成功と成果”を知った時にいったいどのような人間らしい感情がわいたのだろうか。
日本人の私として、いや日本人でなくても、「広島」は、「ヒロシマ」なのだが、グリーンスパン氏の単純な比喩に、原爆をつくった国民と投下された国民の間の意識の違いを受け止めて、考え込む。世界的には、第二次世界大戦の”悲劇”としては、アウシュビッツでのユダヤ人大量虐殺の方が、「ヒロシマ」よりも浸透しているのだろう。しかし、「アウシュビッツ」と「ヒロシマ」では、その事実の意味が違うと私は思う。悲しいことだが、あのような大量虐殺、ジェノサイドは、これまでも宗教、民族などの違いからおぞましいくらいに幾度も絶え間なく繰り返され、そして今も遠い国で人類の愚行として行われている。「ヒロシマ」は、原子爆弾という新しい核兵器が地球規模で破壊してしまう可能性すらある脅威を知らしめた地であり、人類の歴史上、永遠に語りつなげればならない重い遺産を残された特別な地でもある。
小倉、新潟、京都、などいくつかの候補地があげられながらも最終的に8月6日広島が選ばれた。捕虜収容所がなかったこともさることながら、東京のようにすでに空襲によって破壊されていなかったことや、人口や施設がある程度密集していることから、破壊規模の正確なデータをとれること、そういった科学的な検証の理由からもすでに敗戦色の濃かった日本の広島に、原爆を投下したことの事実が問いかける意味。
広島平和記念資料室では、今年の7月15日まで「企画展 菊池俊吉写真展-昭和20年秋・昭和22年夏-」が開催されている。


ヒロシマ1945年9月、文部省学術研究会議に原子爆弾災害調査研究特別委員会が設置され、その補助機関として医学班にカメラマンの菊池俊吉氏が同行した。10月1日から20日まで被爆直後の惨状を記録し、860枚を撮った。そこには、駅、銀行、病院といった建築物、老人から幼いこどもまで一瞬にして街と命を破壊した様子が写されている。そして2年後に、菊池氏は広島を紹介するグラフ誌のカメラマンとして広島を再び訪問した。原爆によってすべてを失われ、GHQによる戦勝国への賠償に苦しみながらも、人々は復興に向けて立ち上がらなければならなかった。
平和記念資料館の常設展が被爆の事実を伝えることであるが、今回の企画の被爆直後とその2年後の同じ位置からの写真を含めて100点の写真に、私たちは過去を学び、なにを見るべきか。

ブログをはじめてよかったと思うのは、日々の生活を拙いながらも文章化することによって、以前より深くものごとを考える習慣が身についたことだ。そして、映画『二十四時間の情事』を観ていなければ、何度も訪れてきたこの広島だが、私は「ヒロシマ」に来ていなかったことに気がつかなかっただろうし、このような写真展に関心をもつこともなかったかもしれない。
ここでは、多くを語る必要はない。広島にご出張される方、また訪問する機会のある方は、この企画展にも足を運んでいただければ、と勝手ながら願っております。(8時半〜18時まで。入館無料)


菊池氏がカメラで切り取ったありのままの広島。
 被爆の苦しみに耐え
 復興に努力した人々に思いをはせ
 核兵器廃絶の誓いを新たにしてほしい。
」  −企画展のパンフレットより
 


■参考⇒「中国新聞 ヒロシマの記録」

映画『二十四時間の情事』

2008.04.03 Thursday

業務連絡

桜を観に、小旅行に行ってきます。

2008.03.27 Thursday

<マクドナルド訴訟>店長は非管理職 東京地裁が残業代認定

ハンバーガーチェーン「日本マクドナルド」の店長が、管理職扱いされて時間外手当を支払われないのは違法として、同社に未払い残業代や慰謝料など計約1350万円の支払いを求めた訴訟で、東京地裁は28日、約755万円の支払いを命じた。斎藤巌裁判官は「職務の権限や待遇から見て、店長は管理監督者に当たらない」と述べた。

同社では正社員約4500余人中、約1715人(07年9月現在)が店長。チェーン展開するファストフードや飲食店では同様のケースが多く存在するとされ、判決は業界に影響を与えそうだ。
訴えていたのは、125熊谷店(埼玉県熊谷市)店長、高野広志さん(46)。99年に別店舗で店長に昇格して以降、残業代が支払われなくなり、時効にかからない03年12月〜05年11月の2年分について約517万円の支払いなどを求めた。

労働基準法は時間外勤務に対する割り増し賃金の支払いを規定しているが、「管理監督者」は適用外になる。訴訟では、同社の店長が管理監督者に当たるかが争点だった。
判決は管理監督者を「経営者と一体的立場で労働時間の枠を超えてもやむを得ない重要な権限を持ち、賃金が優遇されている者」と判断。同社店長について、店舗責任者としてアルバイトの採用や会社のマニュアルに基づく運営など店舗内の権限を持つにとどまり、経営者と一体的立場とは言えないと認定。さらに、品質・売り上げ管理などに加え、調理や接客なども行うため、労働時間の自由裁量性は認められず、部下の年収を下回るケースもあるなど待遇が十分とは言い難いと指摘した。
その上で未払い残業代約503万円を認め、労働基準法に基づきその半額について懲罰的な意味合いを持つ「付加金」の支払いを命じた。

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名ばかり管理職訴訟 播州信金も敗訴
播州信用金庫(兵庫県姫路市)が支店長代理を管理職として扱い、残業代を支払わなかったのは違法として、元支店長代理の山内勉さん(55)=同県稲美町=が未払いの残業代など計約770万円の支払いを求めた訴訟の判決が神戸地裁姫路支部であった。中島栄裁判官は「職務権限に照らし、支店長代理は管理職とはいえない」と判断、同信金に計約450万円の支払いを命じた。

 山内さんは同県加古川市内の支店で支店長代理を務め、平成17年12月に退職。中島裁判官は判決理由で、支店長代理は勤務時間が自由裁量でなく、部下への人事評価権もないと認定。労働基準法が残業代の支払い義務がないと定める、経営者と一体的な「管理監督者」には当たらないと判断した。
山内さんは「判決内容に安堵(あんど)した。若い人を管理職に就かせ、同様の行為を行っている企業もあるかもしれない。同じ立場の人の待遇改善につながればと思う」と話している。
「管理職」への残業代支払いをめぐっては、東京地裁が1月28日、日本マクドナルドの直営店店長を、同様に管理職に当たらないと判断。同社に未払い残業代など750万円の支払いを命じる判決を言い渡した。その後、コンビニエンスストア最大手のセブン−イレブン・ジャパンが直営店の店長に残業代を支払うことを発表するなど、論議が広がっている。(08/2/9 産経新聞)

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話題の旬はとっくに過ぎてしまっているのだが、気になっていたこの「偽装管理職」の記事を「週刊東洋経済」でひろって記録。

東京地裁で支払を命じられ、「控訴する方向で考える」と回答した日本マクドナルド社は、翌日控訴した。
私なんぞは、まずいち個人が巨大企業、しかも米国から輸入されてきた会社相手に訴訟を起こすことは、対戦前に勝敗が決まっているのではないか、と、つい気弱になってしまうのだが、原告側弁護団によると、これまで管理監督者に当たるかどうかが争われた裁判約30件のほとんどで労働者側が勝利している戦績だそうだ。
まず、経営者と一体的な立場かどうかの判断基準は、次の3つにある。

仝限・・・店長には社員採用の権限、営業時間やメニューを決める権限なし
勤務態様
処遇・・・評価によっては下位職位の平均年収より低め

地元駅のマックも店長含め店員さんたちが、忙しそうだ。考えたら、たかだかマックで5分も待ちたくない。スーパーのレジ並にスピード感で、行列解消すべく¥100のスマイルとフライドポテトの加工をしている店長らしき方。しかも殆どバイトでまわしているらしき人的資源と長時間の営業時間。この訴訟の原告側である現役店長の高野廣志さんは、1ヶ月の時間外、休日労働時間が137時間!63日連続出勤の結果、症候性脳梗塞を発症して、”過労死”の危険に直面して訴訟にふみきった。高野さんは、残業代よりも”偽装管理職”者の自由裁量もなく、ひたすらサービス残業をさせられることの労働実体を告発して、同じ店長たちの救済にたちあがってかと思われる。

厚生労働省に委託研究機関である日本労務研究会の管理監督者の実態調査(05年)によると「管理監督者」のほぼ8割が不要な労働時間管理がされていて、5割超で勤怠が制裁・不利益の対象とされていた。そうした実態から、課長クラス、部下なしスタッフ職は管理職にあらずと結論づけている。
「週刊東洋経済」では、そもそも問題は管理監督者であるか否かよりも、本来最低基準である1日8時間労働、週40時間という労働基準法の規定を大きく超えている長時間労働が蔓延している現実ではないか、と投げかけている。全く、その通り。一時の混乱をのりこえて、私も近頃月に5日ぐらいは残業なしで帰宅できるようになった。けれども、労働時間は週40時間を超えていそう。それでも、照会メールの開封時間を確認すると夜8〜9時はフツーなので、文句は言えないな、と思っている。むしろ夜7時頃定刻どおりに?退社できるなんて楽・・・ぐらいに思っているのだが。常識を疑えではないが、やっぱり週40時間超の労働があたりまえと考えてはいけないのかも。

そんななか、「直営店舗のフランチャイズ(FC)店への切り替えを加速させる」と報道。年内に昨年の3.5倍にあたる500店を転換、全店に占めるFC店の比率を3割から4割程度に引き上げるという。FC店にしてしまえば、偽装管理職問題も解消でき、人件費も抑制できるが、市場はたいして好感していないようだ。

 
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2008.03.21 Friday

大学にスタバは必要か 筑波大でHOTな論争

大学にスタバは必要か−。筑波大中央図書館に18日、スターバックスコーヒーが開店した。大学側は客足を図書館の利用率向上につなげたい考えだが、教授の1人が大学新聞で異を唱えるなど、ちょっとした論争になっている。
スターバックスが設置されたのは図書館エントランスホール。これまでは新聞閲覧コーナーになっていた。全国の大学では付属病院にコーヒー専門店が出店する例はあるが、図書館に設置されるのは全国初という。
大学によると、減少気味の利用者を増やすことや閲覧室での飲食をやめてもらうことが目的。閲覧室は飲食禁止だが、実際には飲食物を持ち込むことが常態化している。
これに対し教授の1人が大学新聞に“スタバ無用論”を投稿。「喫茶店を設置し利用者が増えても何の意味もない。マナーの悪い学生には厳罰で対応すべき」などとしている。
学生に聞いてみると、「学内におしゃれな店ができてうれしい」「図書館へ行く回数が増えそう」と好意的な声がある一方、「スタバは高いので貧乏学生は利用できない」「新聞を読むのが不便になった」など否定的な声もあり、さまざまな反応を示している。
08/3/19 MSN産経新聞

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異論を唱えた教授の記事を読んでいないのだが、この教授の意見は現代学生気質としては”KY”な人となってしまうのだろうか。
然し、私としては教授の異見は正論だと思う。

私がいつも利用する単に図書の貸出だけを行う市立図書館と、机があって勉強するための目的もある大学図書館とは機能が異なる面があるとはいえ、「閲覧室の飲食禁止」のルールは市立図書館でも同じ。ちょっとホームレスに近そうな利用客を見かけることもなきにしもあらずだが、誰ひとり飲食物を持ち込むことはない。持ち込んだら注意されるから守っているのではなく、それが利用する者の公平なルールだから。
飲食物持込の常態化⇒「スタバ」設置というのは、そもそも理由にならないと思う。
ルールを守れない学生(そんなに多いのか!?)には、厳罰まで行かないまでもそれなりの対応すべきだろう。それで文句を言うようなら、そこまでして国民の税金を使って図書館を利用していただけなくてもよいのでは。

それに図書館の利用率が減っているのは、ネットの充実にもあると考える。作家の平野啓一郎氏が梅田望夫氏との『ウェブ人間論』で、2002年に長編小説「葬送」を書いた時は、図書館に通って大量の資料を調べたが、今だったらネットを利用して時間を随分短縮できたと言っていた。小説の資料と学問の勉強とでは、対象の図書も調査も違うとは言え、図書館離れ=読書量・勉強量の減少に結びつくとは限らない。それに、いずれにしろ近くにスタバがなくとも、本の虫は図書館に依存しないでは生きていけない。(今日も、残業を無理無理6時できり上げ、図書館にダッシュした図書館寄生虫のような自分・・・)だから、教授の「喫茶店を設置し利用者が増えても何の意味もない」は、まさにおっしゃるとおり。
あまり関係ないが、私はスタバがそんなに好きではないし、殆ど利用しない。確かに全席禁煙はありがたいが、格別おしゃれな店でもなく決して居心地が良いわけではない。女性としては、従来の喫茶店でマイセンなどと我がまま言わないが、ノリタケあたりのちゃんとしたカップでケーキ・セットの方がどれだけ寛げるか。本を読んでいてのどが渇けば水を飲めばよい。私が利用している市立図書館には、サントリーホールと同じよくある水を飲む機械が設置されている。珈琲や紅茶は、あくまでも気分転換と人と歓談するための嗜好品である。「スタバ」と「図書館の利用」の抱き合わせ販売は、やはり?・・・・である。
筑波大学は、地理的な事情ととんでもなく広い学内の敷地から、殆どの学生が下宿していると聞く。だから都内の自宅通学でバイト代が即お小遣いになるような学生はめったにいない。
「スタバは高いので貧乏学生は利用できない」そんなセツナイ学生の感想もしみじみとわかる。勤務先の近くにも、「スタバ」だけでなく「ベローチェ」「タリーズ」「ドトール」とあるが、コーヒー好きで毎日コーヒーを出勤前に買ってくる人たちにとっては、コスト・パフォーマンスから「スタバ」は敬遠されがち。
もっとも”図書館の利用”と切り離して、学生が学内の「スタバ」に楽しみを見つけているのであれば、それはそれでけっこうと思うのだが。
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2008.03.12 Wednesday

社員みんなで会社を買った〜地方発 “EBO” の挑戦〜

Nイタリア賞まで受賞して評価の高かったNHKドラマの「ハゲタカ」で、鷲津ファンドの提案は大空電気のカメラ・レンズ事業部を120億円で売却することだった。出資者は、下請け会社とMBS銀行、そして従業員。エンプロイー・バイアウト(Employee Buy-Out)である。従業員は、勤務先との雇用契約を結んでいるだけであるが、自己資金や借入によって会社の株式を取得して経営参加すのが通称EBOである。日本ではめったにないドラマ「ハゲタカ」の実録のような会社のドキュメンタリーが、3月10日放映のNHKスペシャル「社員みんなで会社を買った〜地方発 “EBO” の挑戦〜 」である。

太陽電気製造のある中堅メーカーが、業界世界シェア4位の中国企業に平成18年に買収された。
業界での日本のメーカーの技術とブランド価値は、海外でも高い評価を受けているにも関わらず、大規模なリストラの結果、福岡大牟田工場が閉鎖されて従業員100人は路頭に迷うことになってしまった。ここで立ち上がったのが、都市銀行の財務畑を専門に歩いてきた元銀行員と工場長、そして従業員である。彼らは、自ら資金を出し合い、銀行と交渉して資金提供を受けて会社をみんなで買ったのだ!
これは、非常におもしろく考えさせられた。


社長まず、35歳の元銀行マンの社長。彼は家族を残して大牟田に単身赴任をしているのだが、そもそも中国企業の買収からたずさわり、企業の成長を助けたるためのつもりが、結果従業員の予測しなかったリストラとなってしまった罪の贖罪の意識もあり、また金融機関とは別世界のモノづくりに共感しての転進である。その彼や会長に就任した元工場長たちの経営者としての「世界最高水準」の製品を製造しないと工場は生残りができないという危機意識と、そこそこの水準に達成しているのに出荷に待ったをかけられて不満を募らせる従業員たち。熟練工も去り、なかなか経営陣が要求するレベルまで到達できず、社長がドイツの商社に交渉してもブランド力不足で断られたりと、現実世界では決してドラマのようにハッピー・エンドでは終わらない。そして出資した銀行からも、当然ながら売上不足からあくまでも紳士的な言葉遣いながらも厳しい指摘がはじまる。

ん2そんな工場に蔓延しはじめた共同体意識の希薄化と経営陣と従業員たちの深まる溝を変えたのが、タイミングよく開催されていた国際展示会に出向いた従業員のライバル企業の製品を目のあたりにした時の世界企業の水準の高さへの感動と、そして自分たちより格下だと思っていた中国企業の猛追してくる危機感である。これをきっかけに従業員の製品に取り組む姿勢が一気に変わった。薄いセルの組み合わせにも経験からくる知恵で性能をあげる工夫を提案する工員、経営者、従業員、全社一丸となってようやく満足のいく高品質の製品をつくるラインが確立していく。
そんなやさき、素材のドイツ製のセルの発送が遅れるとの連絡があった。肝心のセルが届かないとせっかくの受注に追いつかない。電話をかけまくり徹夜で交渉してなんとか必要量を確保しようとする資材担当者。充血した目で、明け方、ようやく必要量のセルを確保できたと笑顔で報告する彼の表情は充実している。日頃は、ダークスーツのビジネスマンを見慣れている私だが、婦人もののシャワー・キャップのような白い帽子を被り、作業服で素朴な彼らがかっこよく見えてくる。

太陽電気の環境ビジネスは、今後巨大市場に成長する将来性のある産業である。日頃見ることのない地方のモノづくりの現場の一端を見ることだけでも価値あり。

MSKのHP⇒従業員による福岡プラント買収(EBO)について

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2008.03.08 Saturday

「働きウーマン」

おんななんと!、あの週刊「東洋経済」が、2月9日号で「働きウーマン」というタイトルで女性をターゲットにした。週刊「ダイヤモンド」があいかわらず日本のゴルフ場企画など、おじさま系の新鮮味に欠ける内容から、東洋経済は若者や女性もとりこむ企画で冴えている。

世界の人口の半分は、女性。しかし、この貴重な資産を有効活用しているか、というと日本はまだまだこれからで、大切な資産が放置されているといわざるをえない。その昔、近代文明いまだあけない頃、夫婦は共働きで農耕を支えてきた人類が、英国の産業革命以降、都市で工場に勤務する男性と家庭で育児や家事に専念する女性と性による役割分担がされてきた。お金を媒介とした金融経済と産業の発展とともに、食べるために協調して働く男女から、外で働きお金を稼いでくる男性による家庭での非生産的仕事に従事する女性支配の構図になりかわっていったように思う。


おんあ2ところが、女性の大学進学率が高くなると、米国ではウーマンパワーの動きが台頭する。読売新聞に掲載された「女の生き方」で過去の女性差別に笑ってしまったが、米国でもそう変わらなかったようだ。1973年に起きた通信会社AT&Tでは、女性の仕事が電話交換手か事務職に限定されていたため「組織的な女性差別」と集団訴訟を起こされ、最終的に米最高裁まで争われて女性を平等に雇用することで和解するという事件があったのだ。
この事件をきっかけに企業で雇用均等が一気に広がったあたり、訴訟天国の米国らしい。余談だが、マイケル・ダグラス演じるサラリーマンが、上司として赴任してきた女性上司(デミ・ムーア)に逆セクハラされる映画『ディスクロージャー』の公開がこの訴訟の勝利から20年後であることを考えると、ダイナミックな米国らしさも感じるのだが。
21世紀になって、世界は政治・経済界と活躍する働きウーマン花盛りである。
米国の女性大統領誕生を待たずとも、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、チリ大統領もアルゼンチン大統領も女性。ロシアからの天然ガスの輸入を手がけ実業家として成功して首相に就任したウクライナのユリア・ティモシェンコ。女には物理はわからないという偏見をうち破って5次元空間の存在によって理論物理学の難問を解決する方法を発表して、ノーベル物理学賞に近いという評判のリサ・ランドール。日本人では、国際協力機構理事長を務める緒方貞子さんが有名だが、初の女性首相候補者が小池百合子さんではちょっとさえない。

ジェンダー・フリーが最も進んでいる米国では、さらに人種・性別・国籍・年齢をこえた多様性を受け入れられなければ勝ち残れないという「ダイバーシティ(多様性を認める)」という発想に進化している。これまでのアファーマティブ・アクションが、政府主導だったことに比較して、ダイバーシティは企業が打ち出した”経営戦略”である。米国のトップ企業では、ダイバーシティの推進だけでなく、女性やマイノリティ社員の出世が妨げられていないか監視するチーフ・ダイバーシティ・オフィサー(CDO)」を設置している。そして企業が社会を映す鏡として多種多様な趣味趣向、意見や考え方が異なる人材をそろえて”すべての意見を吸い上げて”経営に反映させる「ダイバーシティ・アンド・インクルージョン」へと向かっている。それは、或る日部下が性転換して女装して出勤してきたらどうするか。”受け入れる”のが、この究極の経営戦略である。
会社をひとつの生物でたとえたら、進化生物学者のダーウィンの
「強いものが生き残るではなく、変化したものが生き残る」
という強さよりも多様性をとりこんだ柔軟性の方が生き残り戦略では重要だろう。

マッキンゼーの本田社長の日本の最大の格差は男女差、という言葉を待たなくとも、日本のジェンダー・ギャップ指数は世界91位という発展途上国。
日本企業では女性の採用比率が高くても、中身は男性の仕事を女性にシフトして人件費圧縮ぐらいではないだろうか。働きウーマンは確実に増えているが、本当の性差別解消にはほど遠いというのが率直な感想である。
この企画で一番受けたのが、米JSAインターナショナル取締役の小林由美さんのコメントである。この方は、1975年、旧長銀初の女性エコノミストとして入社。MBA取得後、ウォール街初の日本人アナリストとして活躍されたそうだ。彼女曰く、、、
「男性なんてウィルスと一緒、遺伝子を誰かの細胞に忍び込ませて自分のコピーをつくってもらうしかない」
これは、一概にうなづけないが、男性が癌にかかりやすく感染症にもにかかりやすいことから、
「放っておくと女に負けるから、所有権を独占して人工的に障害を作ってきた。それが歴史。米国女性は料理、裁縫を母親から受け継ぐ伝統がないから、セックスアイコンになるか、男みたいになるしかない」とばっさり斬る!

家でも車でも、今や消費の鍵を握っているのは多くが女性。戦略をねる作戦会議のテーブルに消費者代表の女性がいなくては、企業の成長はない。


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